不明

番号 131
名前 不明
読み (項目なし)
サイズ(cm) 11.0 x 6.9
彩色 木版
作者 (項目なし)
版元 須原屋茂兵衛
作成日 天明6年
作成日 1786年
地域 関東地方・中部地方・近畿地方
解説 江戸時代に街道を主題として描かれた道中図の一種。いくつかに分類できる道中図の中でも、本絵図は絵地図式道中記に分類される。この種の道中記については、元禄3年(1690)刊の「東海道分間絵図」などの流れを受けた寛延4年(1751)刊の「伊勢道中行程記」が、本格的な携帯用の嚆矢とされる。さらに、上述した「東海道分間絵図」を改訂した上で縮尺を約3分の1に縮めて携帯用とした「新板東海道分間絵図」が宝暦2年(1752)に出され、普及した。そして、同6年(1756)に刊行された桑楊作の「木曽路安見絵図」は、これをさらに発展させた小型横綴本で、距離に関係なく二宿間を2ページ見開きに絵地図で表現している点に新味がある。さらに明和2年(1765)初版のNo.132「東海木曽両道中懐宝図鑑」は、その発展形として位置づけられる。これに対して、木曽路が描かれている本絵図は、最終ページ(75丁)の奥付に拠れば「天明六丙午正月吉日」に出された。版元は、江戸の有名な地図の出版者である須原屋である。彼は、多数の絵図を刊行しており、最終ページでも「東海道千里友」とともに上述した「木曽路安見絵図」の宣伝が載せられている。後述のNo.132など、国土地理院にも数多くが所蔵されている。京都・三条橋から始まるその描出内容について、東海道草津から分かれて7つ目の醒ヶ井宿(現、滋賀県米原市)を例に説明すれば、二重の長方形で囲まれた中に「醒井」と記し、そのすぐ左横には正方形の中に外向けに東・西と記すことで方位が示されている。そのすぐ下に小川が流れる宿場町が描かれ、地蔵堂を伴っており、右下方向が西とされている。右下端には「柏原へ一里半」という注記を伴う。さらには家並みが切れる頃に一里塚が道を挟んで描かれ、「一色村榎三」・「榎二」の注記を伴う。すなわち、一里塚の木の本数と種類まで特定されている。そのすぐ左に「あづさ川」(梓川)の注記と蛇行した川が描かれ、「あづさ川、柏原までの内に三度わたる」と記されている。この注記は、絵図で言うと左から江戸方面に進む旅人に向けたメッセージとなっている。なお、上述した醒ヶ井宿の描写は、「東海木曽両道中懐宝図鑑」の該当部分にほぼ同じであり、本絵図は、「東海木曽両道中懐宝図鑑」のうち、中山道の部分が独立の1冊とされていると位置づけられよう。なお、同図鑑についてはNo.132の解説も参照されたい。
要約 江戸時代に街道を主題として描かれた道中図の一種で、絵地図式道中記に分類される。小型横綴本であり、距離に関係なく二宿間を2ぺージ見開きに絵地図で表現されている。その刊行年は、最終ページの奥付に拠れば、天明6年(1786)である。京都・三条橋から始まるその描出内容について、東海道草津から分かれて7つ目の醒ヶ井宿で検証すると、No.132「東海木曽両道中懐宝図鑑」の該当部分にほぼ同じである。
キーワード 道中図、絵地図式道中記、小型横綴本、三条橋
参照 今井金吾「旅とともに発展した道中図」(吉成勇編『江戸時代「古地図」総覧(別冊歴史読本・事典シリーズ15)』新人物往来社、22巻33号、1997年)146-153頁。俵 元昭『江戸の地図屋さん—販売競争の舞台裏—』吉川弘文館(2003年)。山本光正『街道絵図の成立と展開』臨川書店(2006年)。矢守一彦『古地図への旅』朝日新聞社(1992年)。

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