伊勢詣順路志

番号 133
名前 伊勢詣順路志
読み いせもうでじゅんろし
サイズ(cm) 16.9 x 10.2
彩色 木版
作者 (項目なし)
版元 (項目なし)
作成日 (項目なし)
作成日 (項目なし)
地域 三重県
解説 江戸時代に街道を主題として描かれた道中図の一種。いくつかに分類できる道中図の中でも、本絵図は絵地図式道中記に分類される。本格的な携帯用絵地図式道中記の嚆矢は、寛延4年(1751)刊の「伊勢道中行程記」と見なされる。さらに、宝暦6年(1756)初版の「岐蘇路安見絵図」は、同2年(1752)改訂の「新板東海道分間絵図」をさらに発展させた小型横綴本で、距離に関係なく二宿間を2ページ見開きに絵地図で表現しており、江戸の有名な地図出版者である須原屋から出版された。No.132「東海木曽両道中懐宝図鑑」も須原屋による出板で、上記両本の描写対象である東海道と木曽路との複合形として位置づけることができる。本絵図は刊行年が不明ながら、この携帯用絵地図式道中記の中の1つである。表紙の2ヶ所に「伊勢詣順路志」と記された題箋が貼られている。2つの題箋のうち、中央の方が左端のそれより古いであろう。その描出内容について、11ページ目と12ページ目の「野尻より大杉谷村々の略図」を例に説明すれば、まず南・北の方位表記が、天・地の両側からの向き合いの形で大書されている。すなわち、道中記を繰るにつれ、西から東へと進む形になっている。西に当たる右端に大滝とあり、長方形の中に奥・中・口定社との記載が目に付き、奥大杉とある。梯形に注記された「桟道」に続く滝屋からは黒い太線が描かれ、これが伊勢神宮へ通じる街道と思われる。明豆付近、宮川と考えられる川中に「舟わたし」と注記された傍らには、「是ヨリ上舟不通」とある。先の注記は、黒線自体が渡る支流の粟谷に関するものであろう。さらに本田木屋(以上の地名は、いずれも三重県旧宮川村)で対岸の右岸に渡っており、ここにも「舟わたし」の注記が認められる。この注記は、もうさらに下流の三瀬川にもある。なお、その手前から「大内谷流」(大内山川)方面に上って「並宮・滝原宮」(以上、旧宮川村域も含め、現在合併されて大台町)に至る道も記されている。この道は熊野古道であり、2004年にユネスコの世界文化遺産に登録された「紀伊山地の霊場と参詣道」の熊野参詣道の一部をなす。
要約 江戸時代に街道を主題として描かれた道中図の一種で、刊行年は不明ながら、携帯用絵地図式道中記の中に位置づけられる。表紙の二カ所に「伊勢詣順路志」の題箋が貼られている。その描出内容について、11ページ目と12ページ目の「野尻より大杉谷村々の略図」を例に説明すれば、まず南・北の方位表記が記載され、道中記を繰るにつれ、西から東へと進む形になっている。伊勢神宮へ通じる街道は黒い太線で描かれ、途中の村名や神社などが記されている。
キーワード 携帯用絵地図式道中記、伊勢詣、伊勢神宮
参照 今井金吾「旅とともに発展した道中図」(吉成勇編『江戸時代「古地図」総覧(別冊歴史読本・事典シリーズ15)』新人物往来社、22巻33号、1997年)146-153頁。 矢守一彦『古地図への旅』朝日新聞社(1992年)。

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