懐宝銅鐫 中国両道掌覧図

番号 136
名前 懐宝銅鐫 中国両道掌覧図
読み かいほうどうせん ちゅうごくりょうどうしょうらんず
サイズ(cm) 78.8 x 33.6
彩色 木版
作者 清泉堂緑山(松田儀十郎敦朝)
版元 書楽居
作成日 慶応2年
作成日 1866年
地域 中国地方・兵庫県
解説 右上に「中国両道掌覧」という内題を掲げ、その右に「懐寶畿内掌覧附録」とし、左に「自播磨、至長門、凡十二州」とある。山陽道と山陰道の両道を記そうとしている。ただし、東の端に記載されているのは、播磨国は市川で、粟加(粟賀、現市川町)以西となっており、但馬国も円山川上流の松岡(現、日高町)まで書かれている。この図は、上記の通り、「懐寶畿内掌覧附録」とされており、図の欄外、各国の在城と城主が羅列された最後に「播州姫路ヨリ東ハ、在畿内掌覧故除之」と記されている通りである。さらに、南は小豆島や讃岐高松と伊予今治周辺も覗いており、西南の九州では筑前芦屋・豊前中津周辺まで描かれている。九州の上、左端中央上に凡例が配置され、国界、国名、郡界、郡名、寺陵、城営、陣営、村々、路程、祠宇、佛龕、市町・宿次、関所、古城跡又ハ古戦跡、名所旧跡、湊又ハ船附、台場、海上船路、河川、温泉、廻松、当常燈明、峯嶺山岳、江戸ヨリ里数が、記号とともに羅列されている。その右上は、上述した在城と城主リストで、さらにその右に置かれた方位盤は、十二支の外側に4方位が注記されている。方位盤を除く欄外は、北を上とした形で配置されている。図中の文字表記は、海側に視座を置き、山を見た方向で倒されているのが原則だが、一部に逆さまに配置された例外も散見される。なお、右下の枠に「慶応二年丙寅秋九月刻成」の年記とともに記載された版元は、江戸と大坂各一人の他は、京都で5名が挙がっている。さらに、その枠内の冒頭に「帝都住銅版司 清泉堂緑山作圖銅鐫」と記されている作者の本名は、松田儀十郎敦朝(1837~1903)で、松本儀平派に属す版画家。松本保居(儀平)の長男であり、幼名は亀之助。蘭香亭とも号す。1848年頃、版画職の玄々堂を継いで、松田と改姓した。本絵図を作成した翌1867年に父が没し、さらにその翌1868年、明治政府より太政官札製造を命ぜられる。1869年に京都から上京し、郵便切手・証券・紙幣製造に従事した後、紙幣寮を退き、活字版、石版画の普及に尽力した。本絵図の他に、地図の作品としては、上述した「輿地全図 懐寳五畿内掌覽 完」が安政5年(1858)の作品で、他に橋爪貫一・校正「(銅鐫)地球萬國方圖 全」(元題簽による) などが挙げられる。
要約 内題の周辺に「懐寶畿内掌覧附録」、「自播磨、至長門、凡十二州」とあって、山陽道と山陰道の両道を記そうとしている。但し、図の欄外、各国の在城と城主が羅列された最後に「播州姫路ヨリ東ハ、在畿内掌覧故除之」と記されている通りである。両道で記載されない地区もある一方で、南は小豆島や讃岐高松と伊予今治周辺、西南の九州では筑前芦屋・豊前中津周辺までが描かれている。記載内容は豊富で、凡例では国界、国名はもちろん、城営、陣営、村々、祠宇、佛龕、市町・宿次、温泉、当常燈明などが羅列されている。
キーワード 山陽道、山陰道、懐寶畿内掌覧附録、市町・宿次、松田儀十郎敦朝
参照 川村博忠『近世絵図と測量術』古今書院(1992年)。

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