信濃国筑摩郡西宮村立会絵図

番号 169
名前 信濃国筑摩郡西宮村立会絵図
読み しなののくにちくまぐんにしのみやむらたちあいえず
サイズ(cm) 88.3 x 63.4
彩色 手書 手彩色
作者 (項目なし)
版元 (項目なし)
作成日(和暦) 天保13年
作成日(西暦) 1842年
地域 松本市
解説 用意された紙面のうち、各辺のほぼ中央に4方位が原則として外向き(北のみ内向き)の形で配されており、東南隅に当たる部分に本図作成の事情が記されている。すなわち、「今般荒地ニ付、田畑惣反別相改候所、相違無御座候、以上」とあって、荒地に関連させて、田畑の惣反別を改めた際に作成されたのである。そして、「天保十三年寅八月」の年記に続き、筑摩郡西宮村の百姓代、組頭など3名が連名・押印して、「松本御役所」に宛てていることも判る。そのちょうど裏側には「西宮村役譲り、立会改、条右衛門より出キ」との裏書きが認められる。この人名は、表書きのうち組頭と一致する。本絵図には裏打ちがされているが、この裏書の部分については、窓を開ける配慮が施されている。年記と署名から見て左方、すなわち「南」の表記近くに○印を伴った凡例があり、着色された丸印が9つ並べられている。右から順に、紺色が水、朱色が道、白色が古荒、橙色が当荒、黄色は畑、色なしが他所、灰色は野山、緑色は草地、青色が山荒である。このうち、「荒」と記された分類の特に「当荒」が、上述された絵図の作成目的と関わり、天保の改革に伴うものと考えられる。「南」という方位記載の位置は、北のそれと比べると、西の方向にややずれていると思われるが、凡例を入れるスペースの関係とも解釈できよう。上述した凡例からは漏れ落ちている図像を絵図から補うと、家屋についてもスケッチ画風に描き込まれている。筑摩郡西宮村に隣接する村として、東には「宮本村境」、西に「落水(おちみず)村境」とあり、いずれも当時は松本藩預かりの幕府領で、現在は長野県松本市(旧四賀村)に属する。会田(あいだ)川が東から一貫して西に向かって流れた後、村内の西端付近で南の方向に流れを変えていることが示されている。文字を中心とした記載方向は、この川に視座を置き、山を見た方向で記されているのが原則であり、前近代の絵図によく見られる表現である。南側の山には「清明山」と注記されている。青色に塗られた部分には「字西ノ入、壱反弐畝分」などの注記が認められる。紙面は4紙を貼り継いで用意し、短辺が三つ折りであるのに対し、長辺は七つ折りにされているが、西端の部分は短い変則的な折り方となっている。表と裏は台紙で補強されており、表に貼られた題箋に「西宮村立会絵図」とある。
要約 荒地に関連させて、田畑の惣反別を改めた際に作成されたとの本図作成の事情が東南隅に当たる部分に記されている。年記に続き、筑摩郡西宮村の百姓代、組頭など3名が連名・押印して、「松本御役所」に宛てている。凡例で着色された9つの丸印のうち、白色の古荒とともに橙色の当荒が、絵図の作成目的と関わると思われる。筑摩郡西宮村に隣接する村として、東には「宮本村境」、西に「落水村境」とある。文字を中心とした記載方向は、原則として川に視座を置き、山を見た方向である。
キーワード 荒地、百姓代、組頭、松本御役所
参照 川村博忠『近世絵図と測量術』古今書院(1992年)。長野県編『長野県史・通史編第5巻・近世2』長野県史刊行会(1988年)。長野県編『長野県史・通史編第6巻・近世3』長野県史刊行会(1989年)。

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