伊能中図 九州南半

番号 185
名前 伊能中図 九州南半
読み いのうちゅうず きゅうしゅうなんはん
サイズ(cm) 141.5 x 146.5
彩色 手書 手彩色
作者 1874年以降(原図は1821年)
版元 (項目なし)
作成日 明治7年以降(原図は文政4年)
作成日 1874年以降(原図は1821年)
地域 九州地方南半
解説 本図は、文政4年(1821)に幕府に上呈された「大日本沿海輿地(よち)全図」正本の中図8鋪のうち、蝦夷(えぞ)東・西半部の2鋪を除く、6鋪セットの写本の「九州南半」図幅である。「大日本沿海輿地全図」は、伊能忠敬(いのう ただたか、1745~1818)の測量隊が寛政12年(1800)から17年間にわたって日本沿岸を測量し、文政4年(1821)に完成した日本図で、手書き彩色の大図・中図・小図の3種類からなる。伊能中図は縮尺1里6分(21万6000分の1)で全国を8分割し、もっとも多く写しが作られた。本図6鋪セットのうち、No.181「関東」図幅には「伊能氏中図(写)…(中略)…本図ハ明治七年以降陸軍参謀局ニ於テ模写セルモノ」との懸け紙がある。明治5年(1872)に、内務省地理局が伊能家所蔵の伊能図副本を摸写し、のちに陸軍・海軍はこの伊能図を借用手写している(陸地測量部研究蒐録『地図』昭和18年7月)。国土地理院の前身となる『陸地測量部沿革大要』には、明治9年の項に陸軍参謀局が「伊能図ノ摸写ニ著手」とあり、同17年の項には陸軍参謀本部測量局によって「伊能図ヲ基礎トシ各府県調製ノ地図ヲ校訂参酌シ輯成二十万分一図ヲ調製」とある。それゆえ、国土地理院所蔵の伊能図は伊能家所蔵副本模写図の写図とみられるが、各図の記載範囲や国郡名・地名の表記、各測点から目標となる山頂・島への方位線などは、東京国立博物館所蔵の三河吉田藩主旧蔵本(日本沿海輿地図)や成田山仏教図書館所蔵の伊能中図とほぼ同じである。模写した際の針穴も確認できるが、黒線の測線や経緯線に鉛筆もしくは烏口が用いられたり、半円形のコンパスローズで示される接合記号や経緯度数表記を欠くなど、全体的に描写は粗い。本図は、北西端は現在の熊本県天草郡苓北町、球磨川河口、北東端は大分県の沖宮島で、南は屋久島・種子島までの範囲を描き、第7~8次測量(1809~14)の成果にもとづいている。虫損が進み、保存状態はあまりよくない。北緯30度から32度までの3本の緯線と、それに斜交する西4度から西6度までの経線が薄く引かれており、図郭の隅には「陸軍参謀局」の朱印が押されている。
要約 明治7年(1874)以降に、陸軍参謀局によって模写された伊能中図の「九州南半」図。縮尺は21万6000分の1。九州中部から屋久島・種子島までの範囲を描く。模写図の原本は不詳。記載範囲や国郡名・地名の表記、各測点から目標となる山頂・島への方位線などは、東京国立博物館などの伊能中図とほぼ同じであるが、接合記号や経緯度数表記を欠くなど、全体的に描写は粗い。図郭の隅には「陸軍参謀局」の朱印が押されている。
キーワード 陸軍参謀局、伊能中図、九州南半
参照 大谷亮吉『伊能忠敬』岩波書店(1917年)。国立歴史民俗博物館編『秋岡コレクション 日本の古地図』国立歴史民俗博物館(1988年)。東京国立博物館編『伊能忠敬と日本図』東京国立博物館(2003年)。東京地学協会編『伊能図に学ぶ』朝倉書店(1998年)。日本国際地図学会・伊能忠敬研究会監修『伊能圖:東京国立博物館所蔵伊能中図原寸複製』武揚堂(2002年)。保柳睦美編著『伊能忠敬の科学的業績 日本地図作成の近代化への道』古今書院(1974年)。渡辺一郎編『図説 伊能忠敬の地図をよむ』河出書房新社(2000年)。渡辺一郎編『忠敬と伊能図』アワ・プランニング(1998年)。

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