名山図譜 完

番号 193
名前 名山図譜 完
読み めいざんずふ かん
サイズ(cm) 18.9 x 26.7
彩色 木版 
作者 淡海谷文晁 絵図
版元 松柏堂 蔵版
作成日(和暦) 文化元年9月刻成
作成日(西暦) 1804年
地域 日本
解説 山水画にすぐれた江戸時代の画家谷文晁(たに ぶんちょう、1763~1840)の作になる3巻の名山真景図。北は北海道の羊蹄山、樽前山から、南は九州の霧島山、桜島までの88座90図(岩手山と妙義山が各2図)が描かれている。名山図譜に紹介される山は、信仰・生活・街道のランドマークが選定要素となっているが、画面には山名と所在地を記すだけである。谷文晁は江戸下谷根岸に生まれ、文晁は画家としての名、または字に用いる写山楼・画学斎・画禅居と号した。谷家は代々、田安家に仕え、文晁も天明8年(1788)に、25歳で田安家の絵師として勤めた。狩野派、山水画、円山派などの諸派合法の画風を展開した。田安宗武の子である松平定信が奥州白河の城主となると、文晁は定信からも篤い庇護を受け、たびたび白河城に赴いている。また、寛政4年(1792)には松平定信に認められて近習となり海岸防備視察に随伴し、風景の写生を担当した。古社寺等の古書画什器を模写した「集古十種」、「本朝画纂」「画学大全」、「松島日記」、「日本名山図会」などが知られている。名山図譜の出版元(版元)は奥州南部出身の医師、川村錦城である。享和2年(1802)夏に谷文晃が40歳の時に、川村元善のために、その所蔵する百余の景色を縮小して冊子とし、「名山図」と名付けたものが本書のもとになっている。そのためか、『名山図譜』には奥州の山が取り上げられることが多い。文化9年(1812)には、書名を『日本名山図会』とかえて、版を新たに出版されている。
要約 山水画にすぐれた江戸時代の画家谷文晁の作になる3巻の名山真景図。北は北海道の羊蹄山、樽前山から、南は九州の霧島山、桜島までの88座90図が描かれている。名山図譜に紹介される山は、信仰・生活・街道のランドマークが選定要素となっているが、画面には山名と所在地を記すだけである。奥州南部出身の医師川村錦城が板元となっている。
キーワード 谷文晁、川村錦城、名山真景図
参照 長岡正利「国土地理院所蔵地図史料展観Ⅸ 名山圖譜」国土地理院広報、第328号(1995年)。鹿児島大学附属図書館HP。埼玉山歩HP。

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