実測大阪市街全図 全

番号 206
名前 実測大阪市街全図 全
読み じっそくおおさかしがいぜんず ぜん
サイズ(cm) 133.5 x 109.0
彩色 銅板
作者 大阪府地理課
版元 (項目なし)
作成日(和暦) 明治18年1月
作成日(西暦) 1885年
地域 大阪
解説 本図は、大阪府地理課によって作製された実測版の大阪市街図である。縮尺は6000分の1である。通りや河川に主題をおき大阪市街の全体をあらわしている。会社名や住宅情報は記載していない。所々に、公的役所が記載されているのみである。凡例には、郡区界、区界、郡区役所、警察署、監獄書、電信局などが符号をともない明記されている。本図には、方位を示す書き込みが多い。余白には方位記号があるが、このほかにも後筆により十二支で方位が刻まれ、図中の大坂城東方にも方位盤が描かれている。幕末の大坂三郷620町編成は、維新後の編入1町増と統廃合2町減で、明治元(1868)年には新政府の大阪府管地3郷619町編成で発足するが、明治初期には毎年のように朝令暮改的な町割編成が行われ、明治5年(1872)の大改正の結果ようやく定着した。この改正は、従前の621町編成を一挙に532町編成とし、しかも旧町域そのままの移行はわずか99町にすぎず、江戸時代の町割りが徹底的に再編された。以後、旧市街地ではほとんど変動していないため、本図に明示されている各区界は、ほぼこのときに画定したものである。図をみれば、この当時の大阪の風景を彷彿させる。大坂城には鎮台がおかれ、江戸時代の御定番下屋敷は工兵作業場となっている。大坂城周辺におかれた与力屋敷には、陸軍兵営がおかれた。また、各大名の蔵屋敷が建ち並んだ中之島をみれば、旧延岡、秋田、上田、壬生藩の蔵屋敷は府立中学校にかわり、広大な敷地を占めた広島の蔵屋敷跡には、医学校や府立病院が置かれた。また唐津、大村、久留米藩蔵屋敷跡地には、職工学校や測候所、商法会議所や商品陳列所に変貌している。
要約 大阪府地理課によって明治18年(1885)復刻された縮尺6000分の1の実測版大阪市街図。会社名や住宅情報はなく、通りや河川に主題をおく。本図には余白に方位記号があるが、このほかにも後筆により十二支で方位が刻まれ、図中の大坂城東方にも方位盤が描かれている。凡例には、郡区界、区界、郡区役所、警察署、監獄書、電信局などが符号をともない明記されている。地図をみれば、大坂城には鎮台がおかれ、その周辺には、工兵作業場や陸軍兵営が確認できる。また、各大名の蔵屋敷が置かれた中之島には、病院や商業施設が置かれた。
キーワード 明治18年、大阪、大阪府地理課、6000分の1、方位、市街地図、実測
参照 地図資料編纂会編『明治前期内務省地理局作成地図集成 第1巻都市図編』柏書房(1999年)解説部分。玉置豊次郎『大阪建設史夜話』大阪都市協会(1980年) [本編];附録。

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