信濃国大絵図 全

番号 271
名前 信濃国大絵図 全
読み しなののくにおおえず ぜん
サイズ(cm) 170.0 x 107.5
彩色 木版 
作者 校正 皇都 池田東籬亭主人 書画 森川保之
版元 高美屋甚左兵衛・山城屋佐兵衛・吉野屋仁兵衛
作成日(和暦) 天保6年 
作成日(西暦) 1835年
地域 長野県
解説 江戸時代の後期から末期、つまり19世紀前半から中頃にかけて国別の地図(現在の分県地図にあたる)が多数出版される。この図は東方向を上にした信濃国(現長野県)の刊行国絵図である。信濃国自体の面積が広大なことから、刊行国絵図で最大の図面積を持つものが信濃国図である。本図も170㎝という大きさだが、別の刊年不記の図は200㎝を越えるものがあり、当然のことながら多数の部分図をつなぎ合わせて作成される。ただ、この刊年不記載の図には「禁売買」「売買禁製百部限梓」という文言が記載されており、販売用ではなく、何らかの目的で配布されるための図であったことをうたっている。図の右上に図名「信濃国大絵図」と記される。図の右下端に本図の凡例を配置し、図中の記号を掲げている。また、信濃国内にある10郡の名称と、上諏訪大明神や善光寺などの著名寺社10カ所も記し、図の上部には城下町と大名の名前、国内の名所を掲げた四角枠がある。左下隅にある四角枠には「名産之部」として小人参、芍薬などの信濃国名産物を記し、その左に刊行した書肆の名と、作者池田東籬亭、画者森川保之の名を記している。版元は地元(松本本町二町目)の高美屋に次いで、京都の山城屋と吉野屋の名前が並んでいる。山城屋佐兵衛・吉野屋仁兵衛のコンビは他に美濃(天保5年)、伊勢(文政13年)、丹後(天保11年)なども出版しており、地図を刊行する上では国絵図を得意分野とし、かつ2軒合同で出すというユニークな存在である。地元の書肆は販売面での提携先であろう。 書肆名の上に、「天保六年乙未初夏刻成」と刊記があり、その左側には芭蕉をはじめ信濃国にちなんだ俳句がある。地元にちなんだ古歌名歌名句の類を集めて図中の余白部分に掲示することは、江戸時代後期の刊行国図にはしばしば見られる情報である。これも、その当該国をより広く紹介しようとすることの表れであろう。
要約 刊行国絵図で最大の図面積を持つものが信濃国図である。本図も170㎝という大きさだが、別の刊年不記の図は200㎝を越えるものがある。図の右下端に信濃国内にある10郡の名称と上諏訪大明神や善光寺などの著名寺社10カ所を記し、図の上部には城下町と大名の名前、国内の名所を掲げている。左下隅の四角枠には「名産之部」として小人参、芍薬などの信濃国名産物を記し、その左に刊行した書肆名と作者池田東籬亭、画者森川保之の名を記す。芭蕉をはじめ信濃国にちなんだ俳句などを図の周囲に掲示することは、江戸時代後期の刊行国図にはしばしば見られる。
キーワード 刊行国図、禁売買、山城屋佐兵衛、吉野屋仁兵衛、古歌名歌名句
参照 国絵図研究会編『国絵図の世界』柏書房(2005年)。三好唯義「近世刊行国絵図の書誌的検討」(葛川絵図研究会編『絵図のコスモロジー 上巻』地人書房、1988年)206-225頁。

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