国幣中社大洗磯前神社 全図

番号 295
名前 国幣中社大洗磯前神社 全図
読み こくへいちゅうしゃおおあらいいそさきじんじゃ ぜんず
サイズ(cm) 51.5 x 37.5
彩色 銅版
作者 浅井光政
版元 精行社
作成日 明治28年10月3日
作成日 1895年
地域 茨城県 大洗
解説 本図の右脇には「明治廿八年十月三日印刷 同年同月五日發行 画作發行者 茨城縣東茨城郡磯濱町七番地 浅井光政」と記されており、一枚の銅版で製作された。地図の右下には「小舟画」と記されている。絵図の左上には巻物を描き、そこには大洗磯前神社の由来を次のように記す。「大洗磯前神社は大名持命と少彦名命の二神を祭神としている。祭神が文徳天皇の齋衡3年12月にこの神磯に降臨し、天安元年8月に官社に列せられ、延喜の制には名神大社に列せられた。源光圀卿は深く名社の衰退を歎かれ、新たに社殿を造営し神地を寄付した。それ以来水戸家は累代崇敬の礼を施し、明治の聖運に際し、国幣中社に列せられた。」この隣には「正三位 子爵井上毅、従三位 子爵福羽義静、従三位 男爵高崎正風、従三位 細川潤次郎、従四位 丸山作楽、従五位 高崎親章、従五位文学博士 小中村清矩、従五位 木村正辞、従五位 近藤幸止、従六位文学博士 黒川真頼、従六位 本居豊穎、従六位 高畠千畝、従七位 久米幹文」の、以上13名の大洗磯前神社を詠んだ和歌が記されている。境内の中には多くの末社がみられる。本殿の右横には「天満宮」、「大神宮」、「水天宮」、「御たけ社」、随神門の右横には「八幡宮」、「水神社」、「二の鳥居」の右横には「青龍社」がある。境内の西側には、他の末社に比べて大きい「与利幾神社」や、「琴平社」、「豊川社」、「大杉社」がある。左下の海岸に並ぶ小林楼、金波楼、魚来庵は現在もホテル、旅館として経営されている。地図の右下の道沿いには「徳川候別野土」がある。その近くに説明の「霊泉山間に湧き」に関係する「霊泉碑」、さらに右上には「霊泉水源」がある。なお、大洗磯前神社の「一の鳥居」「二の鳥居」は確認できるが、「神磯の鳥居」は描かれていない。 「鹿嶋ノ浦」、「袖ヶ浦」、「たゆたふ濱」、「白雪の濱」打留磯」、「磯の岬」、「馬洗洞」、「横磯」、「大磯」、「霧流」、「鮫磯」、「鈴掛磯」、「神磯」、「吹雪ノ濱」、「鞍掛磯」、「能下磯」、「燕石」、「曝磯」、「夏なき濱」、「箱磯」などと磯や濱の名称が細かく記されていることも、この地図の特色である。
要約 大洗磯前神社の参詣案内図として銅版で刊行された。神社や門前の旅館にとどまらず、○○磯と呼ばれる濱や濱の名称や図像が詳しく描かれているのが特色である。明治28年10月3日印刷、大洗町磯濱町に居住した浅井光政の製作になる。大洗磯前神社の境内には多くの末社がみられる。ただし、「神磯の鳥居」は描かれていない。門前町の小林楼、金波楼、魚来庵は、現在も続くホテルや旅館である。
キーワード 大洗、磯前神社、明治28年、浅井光政、精行社
参照 (項目なし)

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