銅鐫 大日本国細図 上 東国之部

番号 43
名前 銅鐫 大日本国細図 上 東国之部
読み どうせん だいにほんこくさいず じょう とうごくのぶ
サイズ(cm) 1317.6 x 16.7
彩色 銅版
作者 菊亭実順
版元 (項目なし)
作成日(和暦) 元治2年2月
作成日(西暦) 1865年
地域 日本 東日本
解説 本図は、元治2年(1865)に官許によって刊行された国図のアトラスである。上下2冊からなる綴本で銅版墨刷で、上巻は東国の部、下巻は西国の部を収める。「銅鐫」の「鐫」とは、鐫(のみ)で彫ることを意味する。版元は、書房の村上勘兵衛・嶋林専輔・福井源次郎ら6名で、このほか、江戸書林5店、大坂書林7店、尾州名古屋2店、京都書林1店の名前が記載されている。作者は、京都の銅版画を手掛けたことで有名な玄々堂である。刊行分国帖は「人国記」(元禄14年(1701)、関祖衡)が最初で、以後、「郡国全図」(文政12年(1829)、市川東谿)、大日本輿地全覧」(天保5年(1834)、山崎義故)、「日本州名解」(嘉永5年(1852)、阿部完堂)などがある。いずれも木版図であるため、本図は、江戸時代の国絵図帖では唯一の銅版図である。銅版画は、司馬江漢によって日本に導入され、幕末期から明治初年に主として京都を中心に多く出版された。その中心的な作者が、初代玄々堂の松本保居(まつもと やすおき)である。本図は、その2代目を継承した長男の儀十郎の作である。儀十郎は、地図以外にも、名所図、藩札、郵便切手なども手掛けた。東国の部を収めた本資料は「正二位権中納言藤原朝臣」の書で始まり、続いて、図中の凡例について説明が続く。郡界や郡境、城下、陣屋、温泉、湖水、名所旧跡などの符号が描かれている。続いて、国名、田数、石高が畿内(山城国、大和国、河内国、和泉国、摂津国)より順に、東海道(伊賀国、伊勢国、志摩国、尾張国、三河国、遠江国、駿河国、伊豆国、甲斐国、相模国、武蔵国、安房国、上総国、下総国、常陸国)、東山道(近江国、美濃国、飛騨国、信濃国、上野国、下野国、陸奥国、出羽国)、北陸道(若狭国、越前国、加賀国、能登国、越中国、越後国、佐渡国)の順に記載される。地誌的事項に続いて同順で国図が綴じられている。佐渡国にあとには、付録として蝦夷地図や八丈島、無人島(小笠原嶋)が付けられている。
要約 元治2年(1865)に官許によって刊行された国図のアトラスの上巻。上下2冊からなる綴本で銅版墨刷。上巻は東国の部で、下巻は西国の部を収める。版元は、書房の村上勘兵衛ら6名。作者は、京都の銅版画玄々堂2代目の松本儀十郎。本資料は「正二位権中納言藤原朝臣」の書で始まり、続いて、図中の凡例について説明がある。続いて国名、田数、石高が畿内より順に記載され、国図へとつづく。付録として蝦夷地図や八丈島、無人島(小笠原嶋)が付けられている。
キーワード 元治2年、官許、分国帖、銅版墨刷、東国之部、玄々堂
参照 森 登「江戸の銅版画家11 松田緑山「銅鐫大日本国細図」」古書通信、11月号(2005年)。山下和正『地図で読む江戸時代』柏書房(1998年)。

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