大和国図

番号 48
名前 大和国図
読み やまとのくにず
サイズ(cm) 131.1 x 79.5
彩色 手書 手彩色  
作者 浪華積玉堂 原図(厳卿写し)
版元 浪華積玉堂
作成日 安政2年
作成日 1855年
地域 奈良県
解説 江戸時代の後期から末期、つまり19世紀前半から中頃にかけて国別の地図(現在の分県地図にあたる)が多数出版される。ただ、それらの先駆けともいうべき図が18世紀においてみられる。刊行された国図の中で最も古い刊年を記すものは宝永6年(1709)「河内国絵図」で、他の畿内諸国(大和、山城、和泉、摂津)やそれらの周辺である近江や播磨の国図が、18世紀において刊行を見る。特に、大和国図は18世紀前半の享保期に3点も出され、刊行国図の中では特異な存在である。つまり、享保3年(1718)、同19年(1734)、同20年(1735)と連続して刊行され、享保20年「大和国大絵図 全」は安永5年(1776)と嘉永元年(1848)に改訂版が出される。この図は刊行図ではなく手書き図だが、嘉永元年版大和国図を「厳卿」なる人物が安政2年(1855)に模写したものである。嘉永元年図は、国絵図の出版という研究課題にとって、興味深い説明書き(識語)を有している。それは次のような文章であり、その原図と版木の変遷を記している。「原図ハ享保年間中村敢耳斎ノ作安永丙申ノ秋改正翻刻ストイヘトモ早ヤ七十余年ノ星霜ヲ経テ磨滅少カラズ因テ是ヲ補ハント欲シ寧楽玄鶴瀧先生所蔵ノ図ヲ乞テ今改刻ス 浪華積玉圃主人識」つまり、原図は70余年前の安永図であり、その版木の摩滅が激しいため改めて作り直したというのである。本図の描画者厳卿は上の文章も模写しており、それに続けて「安政二乙卯六月写 厳卿」と自分のことを書き加えている。厳卿という人物については不明である。地図は村名はじめ、多数の地名や道筋まで詳細に模写されている。江戸時代には刊行地図が多数出たものの、通常はこのように模写がなされたうえで広まっていったのである。
要約 この図は刊行図ではなく手書き図だが、嘉永元年版大和国図を「厳卿」なる人物が安政2年(1855)に模写したものである。嘉永元年図は、国絵図の出版という研究課題にとって、興味深い説明書き(識語)を有している。つまり、原図は70余年前の安永図で版木の摩滅が激しいため改めて作り直したという、その原図と版木の変遷を記している。本図の描画者厳卿は上の文章も模写しており、それに続けて「安政二乙卯六月写 厳卿」と自分のことを書き加えている。
キーワード 嘉永元年版大和国図、厳卿、模写
参照 国絵図研究会編『国絵図の世界』柏書房(2005年)。三好唯義「近世刊行国絵図の書誌的検討」(葛川絵図研究会編『絵図のコスモロジー 上巻』地人書房、1988年)206-225頁。

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