九州之図 文錦堂

番号 85
名前 九州之図 文錦堂
読み きゅうしゅうのず ぶんきんどう
サイズ(cm) 88.8 x 66.3
彩色 木版 手彩色
作者 (項目なし)
版元 文錦堂
作成日 文化10年
作成日 1813年
地域 九州地方
解説 本図は、長崎の文錦堂が出版した刊行九州図で、内題に「九州九ヶ国之絵図」とある。この種、刊行九州図は異種も多く、その初出は、長崎勝山町・冨島屋文治右衛門による天明3年(1783)図であり(内題も本絵図に同じ)、地方図としても最初の刊行図と評価されている。冨島屋(旧豊島屋)は、18世紀後半期に長崎関係の絵画や地図を多数出板している。 本絵図の内題の次に開板の事情を記した後、凡例が続き、最後に刊年「文化十癸酉正月」とともに「文錦堂開板」と結んでいる。この文錦堂は、冨島屋にやや遅れ、19世紀になって頭角を現した版元である。これらを記した枠は種子島の東方に置かれ、その文字方向を基準にすれば、ほぼ西が上にされていることになる。4方位が白抜きで四方向き合いに配されている。「北」は対馬の西、「東」は下関の東方、「南」は宮崎の東方、「西」は甑島列島の西方に置かれており、九州の形自体は整ってはいるものの、全体的にやや西にずれていると見なされる。北の方位表記と東のそれと間も詰まっている。九州以外には、佐賀関半島の東方に四国の佐田岬半島の先端が見え、上述した下関周辺の長門も描かれている。 さらに上述した凡例では、○印、□印などが挙がっている。まず、○印は「合印」とあり、領主を示すための合紋である。領主と合紋のリストは、左辺を除く周囲にずらりと並べられている。国毎に整理され、対照に便宜を与える工夫がなされているのも、初出の天明図から踏襲されている。□印は2つに分けられ、居城(□の中に○印)・古城とある後、朱線と墨点は、「村々道筋一里」とされている。 図の中の表現を見ると、川と海に水色が与えられている。海上では線状に着色が略された上で、朱点が施される形で、航路を示しており、主要な港までの距離も注記されている。一方、九州の中央に位置する「メラ」(米良)など、阿蘇山一帯は、影が付けられた上で朱線を重ねる形で着色されていて、山の境目が不明であると注記している。山形表現は、「英彦山」、「温泉岳」(雲仙岳)、「霧嶋山」、「開門(ママ)岳」などが挙げられ、一部に朱の着色もある。
要約 初出が天明期の刊行九州図で、長崎の文錦堂による文化10年(1813)の異種。4方位が四方向き合いに配され、内題の文字方向を基準にすれば西が天。全体の形はほぼ整っている。凡例の筆頭に、領主を示すための合紋を挙げ(リストは周囲に列挙)、居城・古城とある後、朱線と墨点は「村々道筋一里」としている。川とともに水色を与えられた海上では航路も示す。中央に位置する阿蘇山一帯は、山の境目が不明との注記を伴う。山形表現は、「英彦山」、「温泉岳」(雲仙岳)、「霧嶋山」などが挙げられ、一部に朱の着色もある。
キーワード 合紋、居城、古城、英彦山
参照 日本地図選集刊行委員会・人文社編集部編『日本地図選集5 江戸時代日本勝景路程絵図集』人文社(1974)。 南波松太郎・室賀信夫・海野一隆編『日本の古地図』創元社(1969年)。山下和正『地図で読む江戸時代』柏書房(1998年)。

ページ上部へ