両道中記 全(東海木曽両道中懐宝図鑑)

番号 132
名前 両道中記 全(東海木曽両道中懐宝図鑑)
読み りょうどうちゅうき ぜん(とうかいきそりょうどうちゅうかいほうずかん)
サイズ(cm) 11.5 x 16.0
彩色 木版
作者 (項目なし)
版元 須原屋茂兵衛
作成日(和暦) 明和2年
作成日(西暦) 1765年
地域 関東地方・中部地方・近畿地方
解説 江戸時代に街道を主題として描かれた道中図の一種である。いくつかに分類できる道中図の中でも、本絵図は絵地図式道中記に分類される。この種の道中記については、寛文9年(1669)頃刊の「諸国安見回文(あんけんかいぶん)之絵図」と元禄3年(1690)刊の「東海道分間絵図」の流れを受けた寛延4年(1751)刊の「伊勢道中行程記」が、本格的な携帯用絵地図式道中記の嚆矢と見なされる。さらに、上述の「東海道分間絵図」の改訂版で、縮尺を約3分の1に縮めて携帯用とした宝暦2年(1752)「新板東海道分間絵図」は画期的であった。さらに同6年(1756)初版の「岐蘇路安見絵図」は、これらをさらに発展させた小型横綴本で、距離に関係なく二宿間を2ページ見開きに絵地図で表現しており、江戸の有名な地図出版者である須原屋から出版された。なお、本絵図の宣伝は、No.131で天明6年(1786)の刊行年を記す最終ページ(75丁)でも載せられている。版元が共通して須原屋だからであり、多数の絵図を刊行しており、国土地理院の所蔵絵図でも枚挙に暇がない。本絵図も須原屋による出版で、上記両本の描写対象である東海道と木曽路との複合形として位置づけられる。本絵図の刊行は「明和二乙酉正月吉日」とされ、その初版であるが、天明6年(1786)、天保13年(1842)など何度も版を重ねた。なお、描出内容が本絵図と共通するNo.131の奥付では、上述した天明6年となっていることに注意したい。冒頭ページの右端には「東海木曽両道中懐宝図鑑」と表題が掲げられ、見開きの上部に「琵琶湖風景」とある。左下の橋の右方には湖岸に迫り出した石垣上の天守閣が描かれ、瀬田橋と膳所城と思われる。その右は堅田の浮御堂であり、その右下、表題のすぐ左の帆船は、琵琶湖八景の1つに数えられる矢橋の帰帆であろう。右上に覗く社頭風景は、坂本の日吉大社と思われる。本体は、上段に東海道、下段に中山道を載せた2段に分かれ、墨摺である。東海道は日本橋から、木曽路は三条橋から始まるのも、実はNo.130、No.131と共通する。なお、本図を収録している『日本地図選集5 徳川治世諸国道中細見絵図集 並四国・西国・板東・霊場順礼図』の解説に拠れば(執筆は喜多川周之)、作者の浮世絵師渓斎英泉(池田英泉)は、菱川師宣の「東海道分間絵図」に倣って描いたという。
要約 江戸時代に街道を主題として描かれた道中図の一種で、絵地図式道中記に分類される。本図は、須原屋の出板で出された東海道と木曽路の絵地図式道中記の複合形として位置づけられる。本絵図はその初版であるが、天明6年、天保13年(1842)など何度も版を重ねた。冒頭ページの右端には「東海木曽両道中懐宝図鑑」と表題が掲げられ、見開きの上部に「琵琶湖風景」とある。本体は、上段に東海道、下段に中山道を載せた二段に分かれ、墨摺である。東海道は日本橋から、木曽路は三条橋から始まる。
キーワード 道中図、絵地図式道中記、新板東海道分間絵図、岐蘇路安見絵図
参照 今井金吾「旅とともに発展した道中図」(吉成勇編『江戸時代「古地図」総覧(別冊歴史読本・事典シリーズ15)』新人物往来社、22巻33号、1997年)146-153頁。山本光正『街道絵図の成立と展開』臨川書店(2006年)。日本地図選集刊行委員会・人文社編集部編『日本地図選集5 徳川治世諸国道中細見絵図集 並四国・西国・板東・霊場順礼図』人文社(1977年)。

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