東西蝦夷山川地理取調図 

番号 138
名前 東西蝦夷山川地理取調図 
読み とうざいえぞさんせんちりとりしらべず
サイズ(cm) 1200.0 x 18.6
彩色 木版 色刷
作者 松浦武四郎
版元 (項目なし)
作成日(和暦) 安政6年
作成日(西暦) 1859年
地域 北海道
解説 幕末期の蝦夷地(えぞち)探検家として知られる松浦武四郎(1818~88)が安政6年(1859)に作製した最も有名な蝦夷図。28冊の折畳図からなり、そのうちの「首」と「尾」の2冊には、調査に協力したアイヌの人名や蝦夷地の大きさ、踏査ルートなどが記されている。「首」の巻冒頭には、「東西蝦夷山川地理取調大概図」が掲載されている。他の26冊については、1冊が1枚の部分図(地図)になっており、26枚をつなぎ合わせると、縦2m40cm、横3m60cmの大図となる。経緯度1度をもって一枚に仕上げ、26枚を接合すると蝦夷地(北海道)、クナシリ島、エトロフ島が浮かび上がる。蝦夷地の輪郭は、伊能忠敬および間宮林蔵の実測成果に基づく「大日本沿海輿地全図(中図)」を採用しているとみられ、縮尺はおよそ21万6000分の1である。内陸部の記載も詳細であるが、これは河川沿いに実地踏査した武四郎の功績が大きい。ケバによる山地表現や、河川・湖沼ともに詳細に描写され、地名の記入も従来の蝦夷図を一新するほど詳細である。ただし、内陸部は実測されておらず、基本的には見取図で精度を欠く。調査範囲は、蝦夷を中心にクナシリ島、カラフト島南部、エトロフ島にまで及んだ。すべてアイヌ語による地名表記で、現地住民が調査に同行したことを物語る。松浦武四郎は伊勢国の郷士の家に生まれ、17歳の時に遊歴の旅に出かけ、途中の平戸・長崎で知り得た蝦夷地の情勢に強い関心を抱いた。弘化2年(1845)に初めて蝦夷地に渡り、嘉永2年(1849)までに蝦夷地を3回調査している。安政2年(1855)には幕府の要請で蝦夷地御用雇となり、同3~5年の間にも再び蝦夷地とカラフト島を3回調査した。これらの成果をもとに「東西蝦夷山川地理取調図」を作製した。武四郎は本図と、未完に終わった「北蝦夷山川地理取調図」(北海道附属図書館蔵)をもとに、明治2年(1869)にNo.24「北海道国郡全図」を作成している。復刻版もある。
要約 幕末の蝦夷地探検家・松浦武四郎が安政6年(1859)に作製した北方図。「首」と「尾」の2冊のほか、経緯度1度を基準とする26冊(枚)の部分折畳図からなり、つなぎ合わせると縦2m40cm、横3m60cmの大図となる。「首」の巻冒頭には、「東西蝦夷山川地理取調大概図」が掲載されている。縮尺はおよそ21万6000分の1で、武四郎による踏査成果により内陸部の山地、河川、湖沼、地名の記載も極めて詳細である。
キーワード 蝦夷図、松浦武四郎、折畳図、大日本沿海輿地全図
参照 秋月俊幸『日本北辺の探検と地図の歴史』北海道図書刊行会(1999年)。高木崇世芝『北海道の古地図 』五稜郭タワー(2000年)。高倉新一郎『北海道古地図集成』北海道出版企画センター(1987年)。長岡正利「国土地理院所蔵地図史料展観ⅩⅤⅡ 東西蝦夷山川地理取調圖の首」国土地理院広報、第337号(1996年)。船越昭生『北方図の歴史』講談社(1976年)。

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