改正日本輿地路程全図

番号 157
名前 改正日本輿地路程全図
読み かいせいにほんよちろていぜんず
サイズ(cm) 131.2 x 86.6
彩色 木版 色刷
作者 長久保赤水
版元 須原茂兵衛・村松九兵衛・柳原喜兵衛・吉田善蔵・赤松九兵衛・橋本徳兵衛
作成日(和暦) 天保11年3月5日
作成日(西暦) 1840年
地域 日本
解説 本図は天保11年(1840)に発行された、改正日本與地路程全図の第5版である。隣接する国の色分けは赤・青・黄・肌色の4色で手彩されている。山を緑色で着色している。須原茂兵衛・村松九兵衛・柳原喜兵衛・吉田善蔵・赤松九兵衛・橋本徳兵衛のうち、朱の印が押されたものは松村・吉田・赤松・橋本であり、それぞれ異なる印が押印されている。神戸市立博物館本と同一の版と思われる。   享保2年(1717)、長久保赤水は茨城県高萩市赤浜の豪農の家に生まれる。還暦を迎えて藩主徳川治保の侍講となり、以後20年余にわたり江戸の水戸藩邸に住んだ。改正日本輿地路程全図をはじめ、世界図「地球万国山海輿地全図」などを著し、18世紀末を代表する地理学者である。改正日本輿地路程全図の初版本は、安永8年(1779)に刊行された。刊行日本図としては初めて、1寸10里(129万6,000分の1)の縮尺と、京都を基点に北緯31度から41度にかけて緯線を引き、緯線と直角に経線を引いた経緯線を示した点に特色がある。寛政3年(1791)には、地名の修正加除を行うとともに、郡境、海上航路、潮汐考証などが追加された。この増修定本の副題が付された再版本は、完成された改正日本輿地路程全図として高く評価されている。赤水没後も版を重ねるとともに、海賊版や模倣版が刊行されるなど、改正日本輿地路程全図は人気を博した日本図となった。
要約 天保11年(1840)に発行された長久保赤水作製による改正日本輿地路程全図の第5版。江戸と大阪で刊行され、人気を博した。刊行日本図としては初めて、1寸10里(129万6,000分の1)の縮尺と、京都を基点に北緯31度から41度にかけて緯線を引き、緯線と直角に経線を引いた経緯線を示した点に特色がある。
キーワード 長久保赤水、日本図、経緯線、天保11年
参照 小野田一幸「刊行された日本図」(三好唯義・小野田一幸『日本古地図コレクション』河出書房新社、2004年)20-49、84-105頁。長岡正利「国土地理院所蔵地図史料展観ⅩⅥ 改正日本輿地路程全圖」国土地理院広報、第336号(1995年)。馬場章「地図の書誌学—長久保赤水「改正日本輿地路程全図」の場合—」(黒田日出男・メアリ,エリザベス,ベリ・杉本史子編『地図と絵図の政治文化史』東京大学出版会、2001年)383-430頁。

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