飛騨国図

番号 15
名前 飛騨国図
読み ひだのくにず
サイズ(cm) 77.2 x 108.2
彩色 手書 手彩色
作者 (項目なし)
版元 (項目なし)
作成日(和暦) 明和5年以降
作成日(西暦) 1768年以降
地域 岐阜県
解説 本図には、以下のような凡例が記されている。「飛騨国 三郡二十四郷 四百十三ケ村」、白色小判印は「吉城郡六郷 吉城 廣瀬 古川 小島 小鷹利 高原」、藍色小判印は「大野郡九郷 灘 久々野 河内 川上 三枝 大八賀 小八賀 小島 白川」、薄茶色小判印は「益田郡九郷 阿多野 小坂 上呂 中呂 下呂 百ケ村 下原 馬瀬 萩原 竹原」のほか、駅場、口留番所、照蓮寺領が記号で示される。さらに「飛騨国三郡高 明和五年御地改 五万八千七百七十三石六斗五升八合 内訳三万八千七百六十四石四斗 先高 二万九石二斗五升八合 古開 千六百四十九石九升三合 新開  △百二十ケ村外 照蓮寺領白川十六ケ村萩町共百七十八ケ村」とあり、明和5年(1768)以降に作成されたことは明らかである。国境に藍色で着色された山には、北から反時計回りに「白木嶽」、「金別峯」(金剛堂山)、「白山」、「別山」、「御嶽」、「乗鞍嶽」、「硫黄嶽」、「鎧ケ嶽」、「笠ケ嶽」、「杉ケ嶽」、「北之俣」と山名を記している。この山名の記載と表現は、岐阜県立飛騨高山高等学校所蔵の「飛騨国絵図」(107×89cm)と似ている。この図をもとに本図が描かれた可能性はあり、両図を詳細に比較検討する必要があろう。現状では墨書きの付箋が6ケ所残っており、次のように記載されている。「桑ケ谷村ト小野村合セテ桑野村」「末真村岩丸村ヲ合セテ末眞村」「双六村桃原村ヲ合セテ双六村ト云」「上難村宮原村ヲ合セテ宮原村」「上岡本村春国村合セテ上岡本村ト云」「大野郡一之町村二之町村三之町村ヲ高山町ト改」これらは明治7年(1874)の合併を記している。さらに墨書で記された村名の村形を朱筆で囲むように引いた上で、明治8年の合併による村名の変更を以下のように朱筆で記している。「十七ケ村ヲ合 下原村ト改ム」「此十六ケ村ノ外ニ大ケ洞ヲ合セテ 三郷村ト改」「此八ケ村ヲ合 川西村ト改ム」「十二ケ村ヲ合 位山村ト改」「十一ケ村ヲ合 小坂村ト改」「二十二ケ村ヲ合 国府村」「四ケ村ヲ改 古川村」「七ケ村ヲ改メ 細江村」「九ケ村ヲ改 小鷹利村」「此三十二ケ村ヲ合 丹生川村ト改」「此二十三村ヲ合 大名田村ト改ム」「十ケ村ヲ合 馬瀬村ト改ム」「十八村ヲ合 荘川村ト改ム」「此十八村ヲ合 河合村ト改ム」「十五ケ村ヲ改メ 坂上村」「十三ケ村ヲ合 坂下村ト改」。おそらく輯製20万分の1作成時に地名確認などのために利用されたものと考えられる。
要約 明和5年(1768)における新田高を加えた記載があり、明和期以降に作成された飛騨国絵図の写しと考えられる。岐阜県立飛騨高山高等学校所蔵の「飛騨国絵図」と近似しており、この図をもとに本図が描かれた可能性がある。墨書きの付箋で明治7年の合併、さらに朱筆で明治8年の合併を記している点に、本図の利用目的を考察するポイントがあろう。おそらく輯製20万分の1作成時に地名確認などのために利用されたものと考えられる。
キーワード 飛騨国、国絵図、明和5年、明治7年、明治8年、輯製20万分の1
参照 渡邊秀一「飛騨国」(国絵図研究会編『国絵図の世界』柏書房、2005年)111-114頁。

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