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番号 | 160 |
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名前 | 蝦夷闔境輿地全図 |
読み | えぞこうきょうよちぜんず |
サイズ(cm) | 96.6 x 119.4 |
彩色 | 木版 色刷 |
作者 | 藤田惇斎・橋本玉蘭斎 |
版元 | 播磨屋勝五郎 |
作成日(和暦) | 嘉永7年甲寅4月 |
作成日(西暦) | 1854年 |
地域 | 北海道・樺太(サハリン)・千島(クリル)列島 |
解説 | 蝦夷(えぞ)図の出版が頻繁であった幕末の嘉永7年(1854)に作製された地図。著作者は惇斎藤田良、描図者は下総国出身の橋本玉蘭斎(1807~78頃)である。玉蘭斎は有名な浮世絵師で、鳥瞰図などを多く残している。刊記には「江戸書物問屋、日本橋通十軒店、播磨屋勝五郎発兌」とある。播磨屋は堂名を文苑閣といい、幕末に多くの蝦夷地関係の書籍を出版したことで知られる。本図は、縦120cm余の大型木版刷図で、極めて美麗な手彩色が施されている。図郭の端には漢文による序文が付記され、「方言訳略」として16単語のアイヌ語が掲載されている。航海目的の実用地図として作成された民間図の一枚である。地形が扁平な形状に描かれた蝦夷地(北海道)は、目印となる岬が大きくデフォルメされている。これに対して、千島列島はカムチャッカ半島まで詳細であり、従来の図より輪郭が正確な「北蝦夷唐太」は、間宮林蔵のカラフト島図を継承したとみられる。図中は7つの方位記号があり、フランスのテネリファ島を本初子午線とする経度や緯度、グリッド線も書き入れられているが、正確ではない。図名の「闔境輿地」は境界内部の全域という意味で、本図では日本の領土を意識したものといえる。実用地図という目的から、図中には海岸線に沿って夥しい注記がみえる。たとえば、「シコタン島」には「周回十八里、子モロ領也、此島黒狐多シ」、「クナシリ島」には「一名ヲムシヤ、周回凡百里余、十一月ヨリ三月マテ澗内厚ク氷リテ渡海ナラス」、「ウルップ島」には「一名猟虎島又ラクホイ、周回七、八十里、ウルップト云ヘル魚多キニ因テ名トス(後略)」とある。嘉永7年(1854)には日米和親条約の批准により箱館の開港が決定し、幕吏による蝦夷の視察やロシアとの国境交渉など、蝦夷全体に慌ただしい動きがみられることとなった。こうした動きにいち早く対応したのが、江戸を中心とした版元で、嘉永6年から3年の間で10点以上もの蝦夷図が刊行された。本図もこのようなブームの中で作製された一枚である。 |
要約 | 浮世絵師の橋本玉蘭斎による嘉永7年(1854)作製の大型木版刷りの蝦夷図で、著作者は惇斎藤田良、版元は蝦夷図を多数手がけた播磨屋(文苑閣)。当時ブームとなった航海目的の実用地図として作成された民間図の一枚で、船の目当てとされる蝦夷地の岬は大きくデフォルメされているが、千島列島やカラフト島は従来の図より精度が高い。図中には7つの方位記号やグリッド線、経緯度も書き入れられているが、正確ではない。 |
キーワード | 橋本玉蘭斎、蝦夷図、民間実用地図 |
参照 | 秋月俊幸『日本北辺の探検と地図の歴史』北海道図書刊行会(1999年)。梅木通徳『蝦夷古地図物語』北海道新聞社(1987年)。高木崇世芝『北海道の古地図 』五稜郭タワー(2000年)。高倉新一郎『北海道古地図集成』北海道出版企画センター(1987年)。長岡正利「国土地理院所蔵地図史料展観ⅩⅢ 蝦夷闔境輿地全圖」国土地理院広報、第332号(1996年)。船越昭生『北方図の歴史』講談社(1976年)。 |