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番号 | 167 |
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名前 | 国郡全図 下 |
読み | こくぐんぜんず じょう・げ |
サイズ(cm) | 19.7 x 28.2 |
彩色 | 木版 手彩色 |
作者 | 市川東谿 |
版元 | 須原屋茂兵衛 |
作成日(和暦) | 天保8年 |
作成日(西暦) | 1837年 |
地域 | 日本 |
解説 | 日本総図を分割した江戸時代の地図帳のうち、本図が最高傑作とされる。上下2巻に分かれる本図は天保8年(1837)の刊行であるが、初版は文政11年(1828)で、名古屋の永楽屋東四郎が出版した。作者の市川東谿(とうこく)は、名古屋の大曽根坂上で薬種商を営んでいた。本名は元宣で、通称は井桁屋茂兵衛、東谿は号である。なお、本図の版元である須原屋茂兵衛は、18世紀から幕末まで江戸図などを刊行した江戸の地図出版者である。この地図帳に収められた諸国の図形が、水戸藩の儒官、長久保赤水の「改正日本輿地路程全図」(No.157)に拠ったことは、凡例に明記されている。原図となった赤水図は、それまでの石川流宣による日本図(No.306と、その改訂版のNo.288)を典型とする絵画的な装飾性を脱し、縮尺を1寸10里、すなわち1:1,296,000と明示するなど、日本総図の出版史上、画期的な精度を誇る。とはいえ、全国を一紙に描く都合上、詳しさには限度があった。そこで、これを地図帳の形とし、「机上一覧ノ便利ニシテ文字剥落ノ患ナキヲ旨トス」と謳っている。本図は、国の大小に関わらず、1国1図を原則としているから、縮尺は図毎に異なっている。このうち、作者の地元である尾張図は、畿内諸国図などとともに精細な出来映えになっている。自序によれば、国ごとの絵図をさらに収集して資料としたという。構成は、菅原長親ら3名による序の後、自序、凡例、郡名目録、などと続き畿内から東海道~西海道の順に国別の地図が並んでいる。国の面積が広い陸奥・出羽・薩摩国の3ヶ国は、図が複数枚に分けられている。最初に掲げられた文章博士(もんじょうはかせ)、菅原氏による序の年記が享和3年(1803)であるから、稿本はその時点で既に出来上がっており、初版発行までに数十年を費やしたことになる。これに対し、日本総図を分割した地図帳の嚆矢となった寛文6年(1666)刊行の「日本分形図」(版元は中野小右衛門)は、1枚の日本総図を、1~数ヶ国毎に適宜、紙面に合わせて分載した形をとっている。これを改め、1国1図を原則とした点に加え、原図自体の画期性から、本図が日本図出版史上で持つ意味は自ずと理解されよう。なお、原図となった「改正日本輿地路程全図」の作者、長久保赤水が作成した世界図、「地球万国山海輿地全図説」はNo.281で、No.214もその系統である。 |
要約 | 日本総図を分割した地図帳のうち、最高傑作とされる。諸国の図形は、長久保赤水の「改正日本輿地路程全図」に拠っている。本図は、天保8年(1837)の刊行であるが、初版は文政11年(1828)で、名古屋の永楽屋東四郎が出版した。作者は同じく名古屋商人の市川東谿。国の大小に関わらず1国1図を原則とし、縮尺は図毎に異なる。作者の地元である尾張図は、畿内諸国図などとともに精細である。上下2巻に分かれる。 |
キーワード | 日本総図、地図帳、長久保赤水、改正日本輿地路程全図 |
参照 | 復刻=市川東谿編(児玉幸多解説)『文政年間国郡全図 復刻』近藤出版社(1976年)。日本地図選集刊行委員会・人文社編集部編『日本地図選集第3巻 文政天保国郡全図並大名武鑑』人文社(1967年)。矢守一彦『古地図と風景』筑摩書房(1984年) |