銅刻 琉球諸島全図 全

番号 173
名前 銅刻 琉球諸島全図 全
読み どうこく りゅうきゅうしょとうぜんず ぜん
サイズ(cm) 46.0 x 39.0
彩色 銅版 手彩色
作者 大槻文彦
版元 煙雨樓 蔵版
作成日(和暦) 明治6年
作成日(西暦) 1873年
地域 沖縄県
解説 長辺を4つに、短辺を3つに、下辺のみ短く折り、表と裏に黄色の台紙を付け、表には「銅刻・琉球諸島全図 全」という題箋が貼り付けられている。絵図本体は、九州南部から琉球諸島が描かれ、西には「清」と記された中国大陸の上海付近が覗き、西南端には台湾島の北端も見える。全体に経緯線が記されており、四周の図郭外に東経122度から131度まで、北緯24度から31度までの漢数字が刻まれている。その北端、絵図上方の中央近くに「琉球諸島全図」との内題が掲げられ、「図解二巻附、紀元二千五百三十三年、大槻文彦製」と続く。最後に記された作者、大槻文彦(1847~1928)は、国語学者であり、史伝家。江戸時代に活躍した有名な医者で、大槻玄沢の孫にあたる。そして、沖縄本島の西に置かれた方位盤は、経線と微妙に東方にずれており、磁北を意識していると見なされる。その南方に色分けの凡例が置かれ、琉球は赤色、薩摩は灰色、大隅は茶色、日向は青色、清国は黄色の、おのおの線を引くことで示されている。さらに、中国大陸の東方海上には「沖縄島全図、即琉球本島」「大島及近傍諸島」(奄美大島・喜界島・徳之島など)「宮古島」「八重山」の4つの割図を設け、詳しく示している。このうち、本島図の左上には尺度も掲げられている。一方、右下の「那覇港図」の中心は「那覇」で、その南側は「内港」とされ、「奥山」などとの間に内海が広がり、その一部には「砲台」の記載もある。北側の「外港」には「沙州」「暗礁」といった文字注記以外に、等深線を示すような曲線と漢数字が覆う。その東側の陸地に「中山」、南側は「山南」と大書されている。右下に位置づけられた方位記載の外側、紙片近くのケバによる丘陵表現は首里に当たると思われるが、首里城は図郭外に外れる。なお、本図の図解、『琉球新誌』上巻に載せる例言では、「和漢ノ地図」は誤謬を伴い、詳しく書かれた地図は少ないので、「伊能氏ノ実測図」とドイツ板の「一地図」をもとにし、諸図を参照して製図したとし、「余カ此著ニ於ケル、図ニ於テ、最モ精力ヲ尽セリ」と誇っている。さらに、各島間の距離については省いており、経緯度によって判断するよう、指示している。緯度1度は28里余りであり、「英国『グリーンウヰッチ』」からの経度も、「琉球地方」ではほぼ同距離であるとしている。さらに、No.173全体をまとめる包紙などについても、次の解説を参照されたい。
要約 九州南部から琉球諸島が描かれ、西には「清」と記された中国大陸の上海付近が覗き、西南端には台湾島の北端も見える。全体に経緯線が引かれ、四周の図郭外に東経122度から131度まで、北緯24度から31度までの漢数字が刻まれている。中国大陸の東方海上には「沖縄島全図、即琉球本島」「大島及近傍諸島」「宮古島」「八重山」の4つの割図を設ける一方、右下には「那覇港図」が位置付けられている。なお、本図の図解書に当たる『琉球新誌』上巻の例言によれば、作者である大槻文彦はその精力を尽くしたという。
キーワード 琉球諸島、琉球本島、那覇港、九州、清
参照 大槻文彦『琉球新誌』(復刻版)、国書刊行会(1973年)。宮城県図書館「特集 きらめく文化財の世界 パート1」宮城県図書館だより・ことばのうみ、第14号(2003年)。

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