新撰日本全図

番号 202
名前 新撰日本全図
読み しんせんにほんぜんず
サイズ(cm) 87.0 x 125.0
彩色 銅版 色刷
作者 ト部精一
版元 岡島眞七
作成日(和暦) 明治8年
作成日(西暦) 1875年
地域 日本
解説 明治時代には世界地図と日本地図が数多く民間から出版されるが、その特色としては銅版印刷によって極めて大量の情報が微細な文字で記されることと、輸入顔料の使用によって鮮やかな赤色や黄色の色彩を有すること、江戸時代の版元は廃れ新たに勃興した出版元から出されること、などが挙げられる。本図は北海道から九州までの日本列島の地図と、その周囲に所属地域を付図にして配置している。図の下にある凡例枠の傍に「大阪臥龍軒銅刻」とあるが、微細な銅版印刷地図で虫メガネを使用しなければ見えないほど細やかである。右側のタイトル「新撰日本全図」の下には「北海道千島諸島之図」、その左横には「小笠原群島之図」がある。また日本海側には3つの四角枠があるが、右上が「琉球諸島之図」、その下が「琉球宮古島之図」、そして左に「樺太州之図 又北蝦夷」という付図である。日本列島とこれら5図に示された地域が、この地図が刊行された時代の日本領土を表している。本図の右下にある凡例枠を見ると、そこに記された作成年は明治8年4月である。本図作成の翌月にあたる、明治8年(1875)5月に樺太・千島交換条約が調印され、幕末に決められた日露国境交渉では日露雑居地であったサハリン(樺太)をロシア領に、換わりにウルップ島以北の千島列島全島を日本領にすることが定められた。本図の出版は偶然だが交換条約直前の日本領土を図に示しているのであり、そういった目で見た場合に、非常に興味深い存在といえよう。その刊行年を記す凡例枠には地図記号が明示されているが、それらは「陸之部」の国名や神社仏閣などの記号と、「海之部」の津港、燈台、舟路などの記号に区分され、船舶関連の情報が多く記号化されていることは、船の時代であったことを感じさせる。
要約 本図は北海道から九州までの日本列島の地図と、その周囲に所属地域を付図にして配置している。微細な銅版印刷地図で虫メガネを使用しなければ見えないほど細やかである。右側のタイトル「新撰日本全図」の下には「北海道千島諸島之図」、その左横には「小笠原群島之図」がある。また日本海側には3つの四角枠があるが、右上が「琉球諸島之図」、その下が「琉球宮古島之図」、そして左に「樺太州之図 又北蝦夷」という付図である。日本列島とこれら5図に示された地域が、この地図が刊行された時代の日本領土を表している。
キーワード 銅版印刷地図、樺太・千島交換条約
参照 (項目なし)

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