常陸国常州十一郡全図

番号 217
名前 常陸国常州十一郡全図
読み ひたちのくにじょうしゅうじゅういちぐんぜんず
サイズ(cm) 133.0 x 105.0
彩色 木版 色刷
作者 鶴峯彦一郎 橋本玉蘭図
版元 京都寺町 菊屋七郎兵衛、大坂心斎橋 河内屋喜兵衛・河内屋茂兵衛、水戸 須原屋安次郎、江戸日本橋 須原屋茂兵衛・須原屋侘助、江戸浅草 須原屋伊八、江戸芝神明町 岡田屋嘉七、横山町 和泉屋金右衛門、日本橋 小林新兵衛、下谷御成道 英 文蔵、馬喰町 菊屋幸三郎
作成日(和暦) 江戸末期
作成日(西暦) (項目なし)
地域 茨城県
解説 鶴峯彦一郎は戌申(しげのぶ)と号し、1788年に豊後国臼杵に生まれる。17歳で京に出て、和歌・国学・窮理学(天文学などを含めた広義の物理学)を学んだ。45歳で江戸に住み、窮理塾を開き、また水戸藩の和書編集所に出仕する。藩主徳川斉昭に開国論の意見書を提出するなど、地図の製作も行った。本図は水戸藩出仕後の作であり、無刊記であるが、鶴峯晩年の嘉永期に刊行されたものと考えられる。鶴峯彦一郎が作成した古地図の代表作といえよう。「風土記にいわく、田数四万二千三十八丁、高二十五万三千六百石」とあり、郡名・郡境・城下・陣屋・駅市・村名・新田・道路(朱線)・古城・古戦場・関所・神祠・仏宇・名勝旧跡・温泉が、文字あるいは記号化されて描かれている。また、鹿嶋大明神、心津明神、息洲明神、筑波山権現の4社の由来につづき、天台宗寺領二〇〇石、逢善寺、山伏最上二三〇石、来光院といった領地の情報が別枠に記されている。また図郭中央下には「名所混雑」と題し、筑波山・桜川・なさかの浦などの万葉集などに詠われた名所を、名産として西之内紙、鮟鱇(アンコウ)、浮亀(ウキキ)、鮭、川尻内醤を書き上げている。さらに、方位盤を示し、霞ヶ浦の水深や航路里程が記されている。このように、本図は常陸国風土記をはじめ古記録にもとづく地誌的な刊行国絵図といえる。
要約 本図は鶴峯彦一郎が作成した古地図の代表作である。郡名・郡境・城下・陣屋・駅市・村名・新田・道路(朱線)・古城・古戦場・関所・神祠・仏宇・名勝旧跡・温泉が、文字あるいは記号化されて描かれている。このように、常陸国風土記をはじめ古記録にもとづいた地誌的な刊行国絵図といえる。
キーワード 鶴峯彦一郎、常陸国、刊行国絵図
参照 長岡正利「国土地理院所蔵地図史料展観ⅩⅩⅡ 常陸國常州十一郡全圖」国土地理院広報、第342号(1995年)。

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