京都府山城国愛宕郡大原村 天台宗魚山之總圖

番号 294
名前 京都府山城国愛宕郡大原村 天台宗魚山之總圖
読み きょうとふやましろのくにおたぎぐんおおはらむら てんだいしゅうぎょざんのそうず
サイズ(cm) 57.5 x 41.0
彩色 銅版
作者 (項目なし)
版元 合資会社 名古屋光彰館
作成日(和暦) 明治32年11月
作成日(西暦) 1899年
地域 京都府 京都市左京区大原
解説 現京都市左京区大原の東縁、比叡山の北に連なる山を魚山と称した。魚山とは、慈覚大師円仁が中国の声明聖地魚山にちなんで名付けたとされる。絵図右奥には比叡山、左奥は比良山、中央右寄りに小野山、中央に社寺旧跡を配し、絵図左上と右下の雲形中に各寺院の由緒や今にいたる経緯を記した。銅版印刷特有ならではの詳細で端然とした図である。図中に「唯夫レ明治維新後中廃セシヲ同三十年十月宮内省ハ此復興ヲ許容シ玉ヒキ当山ノ歴史由緒ノ大要斯ノ如シ、故ニ仏家ノ聲明音律ヲ学習スル者競フテ?ヲ投シ其指南相傅ヲ大仰ケルハ古来今ニ致リ諭ル所ナシ」と記されていることから、明治維新によって大原魚山の寺蹟を廃されたが、明治30年には宮内省がこれらの復興を許容したため、再建に当たってそもそもの様相・由緒を図示・記したものであることが分かる。中央には「設計中宸殿」が示され「草創以来歴朝ノ行幸一再ナラス而シテ此院ノ宸殿ハ即チ 宮中御懺法講御修行ノ御内道場ニシテ最モ名アリ明治維新ノ際偶々毀廃シ令セ御懺法講復興ノ許容アリテ之ヲ修スルノ道場ナシ故ニ図ニ示セル建物ハ巨下ノ急務トシテ再建計画中ニ属セル者トス」と記されている。三千院は明治4年に門跡を廃止され、29年に神仏分離令によって境外仏堂となっていた往生極楽院を三千院本堂として再び境内に編入した。中央右手の往生極楽院は、「恵心僧都之ヲ建立セラレ其母安養尼之ニ住ス仏像壁画其他一切僧都ノ手ニ成リ天下稀有ノ美観タリ故ニ内務省古社寺保存会ハ其第一着ニ之ヲ特別保護建造物ニ選定セラル」と記され、壁画は極楽浄土を表す世界であるとして現在も残されている。
要約 京都市左京区大原の東縁、比叡山の北に連なる山、魚山の社寺旧跡と由緒を記した詳細・端然とした絵図である。明治維新によって大原魚山の寺蹟を廃されたが、明治30年には宮内省がこれらの復興を許容したため、再建に当たって元来の様相・由緒を図示・記すために作成したと考えられる。由緒が説明されている「梶井宮門跡三千院」、「来迎院」、「勝林院」の三院は、大原において勢力の強かった寺院であったことがうかがえる。
キーワード 大原、魚山、三千院、天台宗、社寺境内図
参照 (項目なし)

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