改正摂津大坂図

番号 34
名前 改正摂津大坂図
読み かいせい せっつおおさかず
サイズ(cm) 50.6 x 72.9
彩色 木版 手彩色
作者 (項目なし)
版元 石川屋和助
作成日(和暦) (項目なし)
作成日(西暦) (項目なし)
地域 大阪
解説 江戸後期に作成されたと考えられる石川屋版の大坂の都市図。「書房大阪平野町淀屋橋西 石川屋和助版」により、図中には「高麗橋ヨリ近所道法」の説明が加えられている。本図の作成年は図中に確認できないが、中之島には、天保6年(1835)以降に置かれた大垣藩の蔵屋敷が確認できる。また、天神橋筋を寺町通りから2町北へ入った夫婦町には、天保8年(1837年まで夫婦池があったが、本図には確認できない。したがって、天保期以降の作成と考えられる。本図は、木版刷りの手彩色が施されている。著名な神社・仏閣は朱色で、その他は黄色に彩色され、村名を緑、武家屋敷および大坂城を桃色にしている。上町台地上にある大坂城の土手や四天王寺、茶臼山などは景観図として描かれ、見るものを楽しませてくれる。本図は、他の大坂図同様に東を上に描かれ、左下には天保山が別紙により貼りたされている。天保山は当時の俗称で、図中にも「目印山 俗ニ天保山ト云フ」と記されている。なお、天保山は天保2年(1831)より2年間、洪水防止と大坂への大型船の入港をしやすくする目的で安治川の河口を浚渫した際、その土砂を河口に積み上げて作られた人工の山である。岸沿いに高灯籠(灯台)が設けられ、松や桜が植えられた山頂付近には茶店なども置かれ、観光スポットであったという。本図にも樹木や茶店が描かれ、人々の観光風景を想像させる。石川屋和助は、本図以外にも「浪華名所独案内」を刊行している。そこでは、大坂の地誌情報が詳細に加えられている。本図には、こうした地誌情報はごくわずかであるが、当時の大坂市中の日常生活が垣間見えるような記載も少なくない。なお、本図には、後筆により上町、仙場、天満、島内、堂島の各範囲が朱書きで書き加えられている。
要約 江戸後期に作成されたと考えられる石川屋版の大坂の都市図。木版刷りの手彩色で、著名な神社・仏閣は朱色で、その他は黄色に彩色され、村名を緑、武家屋敷および大坂城を桃色にしている。東を上にした構図で、左下には天保山が別紙により貼りたされている。なお、図中には後筆により上町、仙場、天満、島内、堂島の各範囲が朱書きで書き加えられている。
キーワード 都市図、江戸後期、石川屋和助
参照 神戸市立博物館編『地図の部4 江戸図・京都図・大坂図(南波松太郎コレクション)』神戸市スポーツ教育公社(1987年)。山下和正「日本最初の色刷図「新板増補大坂図」をめぐって」古地図研究、第308号(2001年)。矢守一彦『都市図の歴史-日本編』講談社(1974年)。矢守一彦「古地図・地誌類に描かれた近世の大坂」(新修大阪市史編纂委員会編『新修大阪市史第1巻』大阪市、1988年)126-166頁。渡辺理絵「刊本以外の大坂図『大坂三郷町絵図』に関する書誌学的検討」懐徳、第72号(2004年)。

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