再刻 内裏図

番号 39
名前 再刻 内裏図
読み さいこく だいりず
サイズ(cm) 32.3 x 45.2
彩色 木版
作者 林喜平衛・平野屋茂兵衛
版元 (項目なし)
作成日(和暦) 天保8年
作成日(西暦) 1837年
地域 京都市上京区(京都御所)
解説 内裏とその周辺の公卿町一帯を描く内裏図の一種。内裏図の一般的な説明は、No.38「御築地内図 全」を参照されたい。本刊行図には、彩色が認められない。各辺のほぼ中央に、4方位が四方向き合いで記載されている。そして、東南角に当たる部分に宝永5年(1708)新刻の図を天保八年丁巳酉春に再刻した、とある。清水谷殿御蔵版の「禁闕内外全図」と比較すると、新刻の年次が享保5年(1720)と異なるものの、補刻して再板したという天保8年の年次が一致する。初版が発行された宝永5年は、御所が焼失した年次に当たっており、焼失後は御所と公卿町の配置が変化したから、新図の需要があったと思われる。『江戸時代「古地図」総覧(別冊歴史読本・事典シリーズ)』によると、「内裏之絵図(宝永6年<1709>)」、「以降の内裏図は本図をもとにしているらしく、記載の内容は変わらず、時代が下るほど小型化していく」という。中央、やや東南方向の「仙洞御所」(院御所)とその西北隣りの「禁裏」は、塀と建物などが絵で示されている。さらに北接して「近衛殿 二千八百六十石余」と紋所の記載がある。拝領高のみならず、紋所まで記されているのは、広い敷地を持つ、主要な一部に限られる。その東隣には「今出川御門」があり、「今出川」通りを挟んだ向かいには「冷泉殿」の記載も見える(現在、住宅が国の重要文化財に指定)。その北側は「相国寺門前」とある。さらに東に進むと、「町家」も並んでいる。刊行年が記された右側、東辺に当たる部分には、「御郭外宮御門跡方御附」「堂上方御所附」との表題のもと、宮、御門跡、公卿の名称と住所がリストアップされている(「大乗院御門跡 南都」のように、京都以外もある)。後者の筆頭は、No.38「御築地内図 全」と同様、広幡殿であり、住所は、寺町今出川通とされている。「摂家」と対をなして、公家の家格として五摂家に次ぐ、華族ないしは清華家(せいがけ)に挙げられる名家である。本図は、『日本地図選集8 京浪速畿内古地図撰 付近江・河絵図』に収録されている。
要約 内裏とその周辺の公卿町一帯を描く内裏図の一種。各辺のほぼ中央に、4方位が四方向き合いで記載されていて、彩色が認められない。宝永5年(1708)新刻の図を天保8年(1837)に再刻した版。初版が発行された宝永5年は、御所が焼失した年次に当たっており、焼失後は御所と公卿町の配置が変化したから、新図の需要があったのであろう。中央、やや東南方向の「仙洞御所」(院御所)とその西北隣りの「禁裏」は、塀と建物などが絵で示されている。
キーワード 内裏図、公卿町、仙洞御所、禁裏
参照 京都大学文学部地理学教室編『三都の古地図-京・江戸・大坂-』京都大学文学部博物館春季企画展目録(1994)。新人物往来社編『江戸時代「古地図」総覧(別冊歴史読本・事典シリーズ・32)』新人物往来社(1997年)。日本地図選集刊行委員会・人文社編集部編『日本地図選集8 京浪速畿内古地図撰 付近江・河絵図』人文社(1977年)。山下和正『地図で読む江戸時代』柏書房(1998年)。

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