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番号 | 44 |
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名前 | 全国街道図 |
読み | ぜんこくかいどうず |
サイズ(cm) | 81.5 x 30.6 |
彩色 | 木版 |
作者 | (項目なし) |
版元 | (項目なし) |
作成日(和暦) | (項目なし) |
作成日(西暦) | (項目なし) |
地域 | 日本 |
解説 | 本図は、江戸時代に刊行された刊行道中図(道中案内図)で、表裏に両面木版墨書印刷されている。西は長崎、東は盛岡までが描かれており、信州あたりで表面と裏面とに分かれる。伊勢参りなどが普及し、一般庶民にも旅が盛んになる近世後期(18世紀後半)に、このような有名寺社を描き入れた旅行案内図が数多く出版される。文政11年(1828)には、江戸時代の地図板元として有名な吉文字屋市左衛門・須原屋茂兵衛らが共同板元となって、紀伊~越後までの「道中独案内図」が出版されているが、本図はその改訂版か同系統の道中図とみられる。折り畳んで仕舞いやすく、もっとも普及したタイプの迷路型道中図である。表面が西日本で、図の左下端に「是よりうらエつづく」とあり、裏面に東日本の図と、東海道、中山道、木曾街道、北国道中、伊勢参宮道、仙台道中の里程表が駄賃付で掲載されている。ただし、四国は、大阪から淡路島までの海里「十五里」、淡路島から「丸がめ」までの「海上三十五里」が示されてはいるが、名所として「金比羅」が記載されているだけで、他の城下町などはまったく記載されていない。裏面左側には、短冊枠を「城下」、楕円枠を「宿」、短冊枠を「寺社」、大丸輪(記載はない)を「大社大寺并津湊」、黒三角印を「国さかい」、点線を「舟路」、「方角遠候所へ入直」、「川すぢ」、「本海道」とする凡例があがっており、図中には各地点間の里程が記載されている。さらに「本定荷 一駄荷三拾六貫目/乗掛下 十貫目ヨリ十八貫目迄/軽尻阿婦”(からじりあぶみ)附 三貫目ヨリ六貫目迄/人足荷 五貫目」と荷量の定が明記されており、東海道であれば「品川ヨリ二り半 本百十四文/〃七十三文/人五十六文」と、街道別に宿人馬の駄賃が紹介されている。おもな名所(丸輪印)としては、書写山(姫路)、そ祢の松(高砂)、まや山(摩耶山)、有馬、のせ妙見、高野、吉の(吉野)、山上(大峯)、はせ(長谷寺)、三輪、上の太子(法隆寺)、なら(奈良)、内宮宇治、外宮山田、京(京都)、鳳来寺(三河)、秋葉山、身延山、善光寺、久能山、日光山、中禅寺、かまくら(鎌倉)、鹿島、香取、津宮、追分(多賀城)、塩竈、松島などが図示されているが、この他にも、宮島、春日(神社)・大仏(東大寺)・元興寺、伊□宮・いそべ・浅間山(伊勢神宮)、富士山・宝永山、江の島などが景観表現されて紹介されている。 |
要約 | 一般庶民にも旅や物見遊山、社寺参詣が盛んになる近世後期に刊行された刊行道中図(道中案内図)で、西は長崎、東は盛岡までが描かれ、有名寺社が網羅されている。文政11年(1828)には、吉文字屋市左衛門・須原屋茂兵衛らが共同板元となって「道中独案内図」が出版されているが、本図はその改訂版か同系統の道中図とみられる。折り畳んで仕舞いやすく、もっとも普及したタイプの迷路型道中図である。 |
キーワード | 道中図、道中案内図、里程表、旅行、名所 |
参照 | 海野一隆「町図と道中記」(中村拓監修『新装版 日本古地図大成』講談社、1974年)41-44頁。山下和正『地図で読む江戸時代』柏書房(1998年)。矢守一彦『古地図と風景』筑摩書房(1984年)。 |