自大阪至備中庭瀬街道図

番号 46
名前 自大阪至備中庭瀬街道図
読み おおさかよりびっちゅうにわせにいたるかいどうず
サイズ(cm) 188.8 x 15.8
彩色 木版
作者 今村美景
版元 (項目なし)
作成日(和暦) 安永7年
作成日(西暦) 1778年
地域 大阪から岡山までの瀬戸内海沿岸
解説 本図は、大坂から「弐万七千石」と添え書きされた備中庭瀬に至る道中の名所旧跡、地名、また瀬戸内海航路を描いている。資料のタイトルはその実態から名付けられたものだが、出発地の大坂はともかく、備前児島で途切れているのは、いかにも不自然である。資料の本来の姿は、ここにある備中庭瀬で終了するものではなく、さらに進み、大坂から出航して讃岐金毘羅宮までのルートを示す道中案内図である。つまり、本図は金毘羅宮に参詣する人びとのために作成された道中案内書「金毘羅参詣海陸記」の冒頭部分なのである。「金毘羅参詣海陸記」は折れ本形式で大坂から金毘羅宮までの道中を案内し、資料の全長は5メートルにも及ぶ。「金毘羅参詣海陸記」の著者は今村美景で、成立は安永7年(1778)である。版元は大坂の吉文字屋市兵衛と柏原屋与左衛門だが、他に堺屋忠兵衛が加わったもの、さらに阿波屋文蔵が合羽刷りで色付けしたものなど、現在判明しているだけでも三種類の異版がある。安永期において、金毘羅参詣の隆盛がうかがわれるのである。大坂を出発し瀬戸内海を進む航路は、備前児島の日比を経て(本資料はここで切れているが)丸亀まで達しており、またそれとは別に備前下津井から「丸亀へ五里」とする航路線も見られる。丸亀からは陸路の案内となり、最後は金毘羅宮の境内図が描かれる。それに続いて、金毘羅宮ならびに諸堂の由来などが記されるが、それはおそらく参詣の順路案内ともなっているのだろう。さらには締めくくりとして讃岐国の他の寺社案内までも付している。安永7年版の「金毘羅参詣海陸記」は、嘉永4年(1851)に京都の平野屋茂兵衛によって再版されている。
要約 本図は、大坂から「弐万七千石」と添え書きされた備中庭瀬に至る道中の名所旧跡、地名、また瀬戸内海航路を描いているが、もともとは大坂から出航して讃岐金毘羅宮に参詣する人びとのために作成された折れ本形式の道中案内書「金毘羅参詣海陸記」の冒頭部分である。その本では、大坂を出発し瀬戸内海を進む航路は、備前児島の日比を経て(本資料はここで切れているが)丸亀まで達しており、またそれとは別に備前下津井から「丸亀へ五里」とする航路線も見られる。丸亀からは陸路の案内となり、最後は金毘羅宮の境内図が描かれている。
キーワード 大坂、備中庭瀬、今村美景、金毘羅参詣海陸記
参照 琴平町史編集員会編集『町史ことひら 5絵図・写真編』琴平町(1995年)。

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