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番号 | 49 |
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名前 | 和泉国図 |
読み | いずみのくにず |
サイズ(cm) | 61.2 x 26.8 |
彩色 | 手書 手彩色 |
作者 | 原図 堺府 河合守清 |
版元 | (項目なし) |
作成日(和暦) | 享保20年4月 |
作成日(西暦) | 1735年 |
地域 | 大阪府 南部 |
解説 | 内題は「和泉国総図 三郡 大鳥 日根 和泉郡 右割 和泉為泉南泉北今四郡如図」である。「旧河内国也、四十四代元正天皇霊亀二年四月割三郡始置出泉国、十四代神功皇后征新羅之年此地有波浪聲須□飛泉涌出丈餘其流長味□□故号具地名出泉郡令国府清水是也、当国茅汀海辺出徴黒色鯛名茅汀□□亦是詳其泉州志不贅干此」と、和泉国の由来が記載されている。また「原図 堺府 河合守清 享保二十乙卯夏四月刻」と記され、いわゆる考証図である。朱筆で郡名、道が引かれており、一里山の黒丸印の記載もある。国境には街道名あるいは峠名、また隣国隣村までの里程が記されている。しかし、小判型に記された村名には石高の記載はなく、墨線で郡境をしめしているものの、村形の郡別色分けはなされていない。泉南郡境の日根郡には村名記載のない村形が2つある。このように江戸幕府撰国絵図の様式ではなく、河合守清が考証して作成した原図を写したものであろう。村形の右脇に大鳥郡では「八田庄」、泉北郡では「我孫子庄」、日根郡では「日」と記された「日根野庄」など、荘園名が記載されている。これは河合守清の原図にも記載されていたのではないかと思われ、考証図の特色が示されている。一方、岸和田から紀州へ抜ける国境には「誤リ○附ク」と朱筆で記載され、5~6箇所の国境に小さな赤丸や×印が記されている。この朱筆の郡名や街道を含めて、あるいは模写した本図の原所蔵者の考証を示すのであろうか。堺・岸和田・谷川湊には海路の里程が記載されている。堺には長方形で「新渡戸 舟入」と記載されている。 |
要約 | 和泉国の考証図。原図は享保20年(1735)に河合守清が考証して作成した図であると考えられる。朱筆で郡名、道を引き、一里山には黒丸印が付されている。国境には街道名あるいは峠名、また隣国隣村までの里程が記されている。しかし、小判型に記された村名には石高記載はなく、墨線で郡境をしめしているものの、村形の郡別色分けはなされていない。 |
キーワード | 和泉国、享保20年、河合守清、考証図 |
参照 | (項目なし) |