紀伊国図 全

番号 50
名前 紀伊国図 全
読み きいのくにず ぜん
サイズ(cm) 102.0 x 90.1
彩色 手書
作者 (項目なし)
版元 (項目なし)
作成日(和暦) (項目なし)
作成日(西暦) (項目なし)
地域 和歌山県
解説 №13「紀伊国図 二郡」と№14「紀伊国図 五郡」の図形と本図のそれはほぼ近似しており、両図を合わせると、本図のような紀伊国の全図になる。ただし、本図は村名を小判型で示すなど、前二者の図と記載内容に異同がみられる。また、紀伊国と大和国吉野郡との国境は、同じく紀伊国図である№13「紀伊国図 二郡」と№50「紀伊国図 全」と大きく異なる。さらに、№13では空白となっていた新宮城は、本図では天守閣が描かれ、同様に№14では空白の和歌山城は、本図では城郭が描かれている。すなわち、本図と№13、14は一連の過程の中で作成された可能性が高い。いずれも下図ではあるが、№13、14のあとに本図が作成されたとみるできであろう。伊勢国境の近くに貼られた付箋には、朱筆で「牟礼郡中上大又村下大又村ヲ合 大又村トアリ 不見」と記載されている。また墨書で「南浦北浦ヲ合セテ尾ワシ南浦トス」の付箋がある。しかし、この2つの付箋の位置は、元来の位置ではなく、剥がれたために、この位置に貼り直されたものである。また、「中井浦堀北村野地村ヲ合セテ尾鷲中井浦と改ム」との付箋があり、これらは明治初期の合併を示すことから、明治19年(1886)の輯製20万分の1作成時の村名確認に利用された国絵図の一つであろう。
要約 紀伊国の全域を描いた国絵図。№13「紀伊国図 二郡」と№14「紀伊国図 五郡」の図形と本図のそれはほぼ近似しており、両図を合わせると、本図のような紀伊国の全図になる。記載内容の異動から、№13、14のあとに本図が作成された可能性が高い。図中には「中井浦堀北村野地村ヲ合セテ尾鷲中井浦と改ム」との付箋があり、これらは明治初期の合併を示すことから、明治19年(1886)の輯製20万分の1作成時の村名確認に利用された国絵図の1つであろう。
キーワード 紀伊国、輯製20万分の1
参照 (項目なし)

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