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番号 | 58 |
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名前 | 尾張国図 |
読み | おわりのくにず |
サイズ(cm) | 80.2 x 65.5 |
彩色 | 手書 手彩色 |
作者 | (項目なし) |
版元 | (項目なし) |
作成日(和暦) | (項目なし) |
作成日(西暦) | (項目なし) |
地域 | 愛知県 西部 |
解説 | 本図は尾張国全域を描いた国絵図である。内題の記載はなく、河川は水色、道は朱線、郡界は太い墨線で示される。国境周辺には、地名表記がみえる。緑・黄・赤色で郡別色分けされ、郡の境界線は縁のみ塗られている。村名は小判型に、町名は黄色に着色された短冊型に記載される。これらの点から、№54「近江国図」や№57「美濃国図」と同時期の写本と考えられる。しかしながら、№54・57には村名の訂正や村の合併に関する朱筆や墨書の付箋があるのに対し、本図には付箋を貼られた跡もみられない。№54・57とともに、輯製20万分の1作成時に参照された可能性が高い。城下町名古屋は大型の黄色に着色された短冊に名称が記載されており、ひときわ目立つ。また、主要街道沿いの宿場にも、黄色の短冊型がみられる。たとえば知多郡では師崎・半田・亀崎・大野、愛知郡では岩塚、海東郡では岩塚の対岸に位置する万場のほか、東海道沿いの北神守、津島、佐屋路の佐屋、名古屋から中山道に向かう勝川と内津、犬山道の小牧、楽田からは分かれて犬山、善師野、名古屋から清須(清洲)、清洲から起(おこし)の渡し、清洲から一宮などである。異質な感じを受けるのは、熱田の近くに記載された「御殿」の文字である。正保期の国絵図を参考にした可能性もあり、検討の必要がある。愛知郡と知多郡では、末森近くに織田城跡、梅森近くに松平高熙古城、竹野山近くに加藤氏古城、このほか数多くの寺社名が異筆で記載されており、本図が写された後に書き加えられたものと考えられる。どのような理由で、愛知郡と知多郡のみに記載したのかは明らかではない。 |
要約 | 本図は正保期の尾張国絵図を参照した簡略な国絵図である。№54「近江国図」や№57「美濃国図」と同時期の写本と考えられるが、記載内容の違いも多い。ただし、輯製20万分の1作成時に地名確認のため参照された可能性が高い。熱田の近くに黄色の四角で「御殿」の記載がみられる点、愛知郡と知多郡には古城や寺社の後筆がみられる点に特色がある。 |
キーワード | 尾張国、国絵図、御殿、古城、輯製20万分の1 |
参照 | (項目なし) |