丹後国図

番号 62
名前 丹後国図
読み たんごのくにず
サイズ(cm) 82.3 x 90.4
彩色 手書 手彩色
作者 (項目なし)
版元 (項目なし)
作成日(和暦) (項目なし)
作成日(西暦) (項目なし)
地域 京都府 西部 兵庫県 北部
解説 本図は、丹後国の全域を描いた手書きの国絵図である。内題の記載はないが、丹後5郡の竹野郡、熊野郡、仲郡、與謝郡、加佐郡の郡境を墨線で区分し、郡境に沿って色別の塗り分けがみられる。小判型の村形を結ぶように朱線で街道が延び、一里山の黒丸印が付されている。また、山々を緑色に彩色し、大江山、二瀬山など、山名を記載しているものもある。鳥居の印も多く、主要な社寺名の記載がみられる。宮津城と田辺城の城郭と城下が写実的に表現されている。宮津城は、京極高広によって慶長9年(1609)より城下建設がはじまったとされる。宮津川を外濠の一部に活用した縄張りで、城北には「二の丸」や「士ヤシキ」の文字がみえ、城下の構成を大局的にとらえることができる。また田邊城は、寛文8年(1668)まで京極氏の居城となっていたが、但馬豊岡へ移ったのちは、牧野氏が入城した。舞鶴湾に面し、川を引き込んだ縄張りは、難攻不落の城と評される所以である。海岸線には、磯や湾の情報が豊富である。たとえば「岩多キ十尋西北風悪」や「荒磯無」、佐野川・熊野川河口には「川口浅大船不入」といった具合である。図には、竹野郡の北方の沖ノ島(現久美浜町)まで描かれる。また、与謝湾につきでる天橋立の砂州には、松のような描写が加えられる。江戸幕府撰国絵図の様式とは異なるが、国絵図の写本の一つであろう。ただし、村名の記載のない村形も数ケ所ある。
要約 本図は、丹後国の全域を描いた手書きの国絵図。内題の記載はないが、丹後国の宮津城と田辺城の城郭と城下が写実的に表現されている。丹後五郡の竹野郡、熊野郡、仲郡、與謝郡、加佐郡の郡境を墨線で区分し、郡境に沿って色別の塗り分けがみられる。小判型の村形を結ぶように朱線で街道が延び、一里山の黒丸印が付されている。また、山々を緑色に彩色し、大江山、二瀬山など、山名を記載しているものもある。鳥居の印も多く、主要な社寺名の記載がみられる。江戸幕府撰国絵図の様式とは異なるが、国絵図の写本の一つであろう。
キーワード 丹後国、国絵図
参照 (項目なし)

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