但馬国図

番号 63
名前 但馬国図
読み たじまのくにず
サイズ(cm) 41.1 x 38.8
彩色 手書 手彩色
作者 (項目なし)
版元 (項目なし)
作成日(和暦) (項目なし)
作成日(西暦) (項目なし)
地域 兵庫県北部
解説 本図は、但馬国村名を記した村形とこれらをつなぐ朱線の道、郡境の墨線と引かれた国絵図である。しかし、江戸幕府撰国絵図の様式とは異なり、脇に「従京大坂到湯島路程」が詳細に記載されていることなどから、刊行国絵図を原図とした写本と考えられる。この路程には「丹波越」、「三田越」、「播磨越」の三街道の宿が記載されており、京または大坂(江戸時代、大阪は大坂と記した)から但馬国豊岡までの里程が記載されている。養父郡には「門前村養父市場村ヲ合セテ養父市場村ト云」、朝来郡には「土肥村佐中村平野村老波村(しわなみむら)神子畑村合セテ佐嚢村(さのうむら)ト云」と墨書で記した付箋が貼られている。この付箋は№15「飛騨国図」・№54「近江国図」・№57「美濃国図」・№64「美作国図」などにもみられ、輯製20万分の1作成時における地名確認であった可能性もある。
要約 本図は、村名を記した村形とこれらをつなぐ朱線の道、郡境の墨線と引かれた小型の国絵図である。しかし、江戸幕府撰国絵図の様式とは異なり、脇に「従京大坂到湯島路程」が詳細に記載されていることなどから、刊行国絵図を原図とした写本と考えられる。この路程には「丹波越」、「三田越」、「播磨越」の三街道の宿が記載されており、京または大坂(江戸時代、大阪は大坂と記した)から但馬国豊岡までの里程が記載されている。
キーワード 但馬国、刊行国絵図、輯製20万分の1
参照 (項目なし)

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