備中国沿岸海図 小田郡笠岡村

番号 66
名前 備中国沿岸海図 小田郡笠岡村
読み びっちゅうのくにえんがんかいず おだぐんかさおかむら
サイズ(cm) 79.2 x 56.1
彩色 手書 手彩色
作者 (項目なし)
版元 (項目なし)
作成日(和暦) (項目なし)
作成日(西暦) (項目なし)
地域 岡山県笠岡市
解説 紙面は4紙を貼り継いで用意し、長辺に八つ折り、短辺は三つ折りにされている。裏とともに表紙で補強され、表に貼られた題箋に標記の絵図名が記されている。紙面のほぼ四隅に四方向き合いの形で配されている4方位のうち「北」の近くに凡例があり、着色された丸印が4つ並べられている。右から順に、緑色は山、空色は海、黄色は御料、茶色は私領と記されている。この凡例における文字の向きを基準にすれば、南西の辺が上と見なされる。黄色に着色されているのは幕府領であり、下辺のほぼ中央に配され、西端の「茂平村」から「横島入江新田」までの間には、生江濱(おえはま)村、吉濱村、西濱(ようすな)村、笠岡村、富岡村、横嶋村と六つの村名が並んでいる(以上、現在はいずれも岡山県笠岡市)。そのほぼ中央に、絵図名にある小田郡笠岡村が位置している。以上の御料6ヶ村の外側は、西隣に「阿部伊勢守殿領分 備後国野々濱村」(福山藩領、現広島県福山市)、東隣は「池田内匠頭領分 西大嶋村」(鴨方藩領、現岡山県笠岡市)とある。一方、空色で着色された海上に目を移せば「高島」、「サシデシマ」(差出島)、「神島」(こうのしま)、「片島」などの島名が記されている。なお、このうち神島は、No.17「備中国寄島図」では「神ノ嶋」とある。1966年に着工された国営笠岡湾干拓事業により現在は陸地と地続きになっている。作成年次の記載は認められないが、海上のあちこちに朱書きや墨筆で深さが注記されている点が注目される。例えば、笠岡村からは、「三十丁目深三尋、二十丁目深三尋、十丁目深一尋三尺余、五丁目深一尋三尺余、一丁目深一尋余、三十間目深一尋余」の類であり、幕末に海岸防備強化のために各地で作成が命じられた図の一種であると考えられる。なお、絵図で中央近くに配され、絵図名にも採択されている笠岡村には古くから機能した湊があって、防波堤も描かれている。
要約 紙面のほぼ四隅に四方向き合いの形で配されている4方位のうち「北」の近くに凡例があり、着色された丸印が4つ並べられている。右から順に、緑色は山、空色は海、黄色は御料、茶色は私領である。この凡例における文字の向きを基準にすれば、南西の辺が上と見なされる。黄色に着色されているのは幕府領であり、下辺のほぼ中央に配され、西端の「茂平村」から「横島入江新田」までの間には6つの村名が並んでいる。幕末に海岸防備強化のために各地で作成が命じられた図の一種であると考えられる。
キーワード 海図、凡例、深さ、御料
参照 川村博忠『近世絵図と測量術』古今書院(1992年)。

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