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番号 | 70 |
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名前 | 土佐国図 |
読み | とさのくにず |
サイズ(cm) | 83.2 x 57.5 |
彩色 | 手書 手彩色 |
作者 | (項目なし) |
版元 | (項目なし) |
作成日(和暦) | (項目なし) |
作成日(西暦) | (項目なし) |
地域 | 高知県 |
解説 | 元禄期の土佐国絵図の写図とみられるラフタッチな土佐一国図。郡界線が朱筋、河川および海岸線が淡い藍色で着色されている以外は、墨書手書きの見取図である。高知市民図書館には東西幅750cm×南北幅560cmもの大きさの「元禄土佐国絵図控」(元禄13年(1700)頃)が3幅に分割所蔵されている。本図は、土佐湾側に折れ曲がるように描かれる足摺岬の形状や、室戸岬・諸河川・国界線の形状、海岸沖の船路線、番所の記載や国境・船路海里の注記(国境注記は国境より土佐国側の村までの里程を表記)、「ハヘ」と呼ばれる小さな岩礁の名称などが、この元禄期控図とおおむね同じ内容である。江戸幕府に提出された元禄期の土佐国絵図はすでに失われており、本図は幕府提出の元禄期土佐国絵図の縮図等から写されたものとみられる。ただし、「元禄土佐国絵図控」にある高目録の記載はない。図中に各郡の郡高が記されていて、その郡高は「元禄土佐国絵図控」のそれとおおむね一致するが、土佐郡については元禄図が20,784石9斗2升であるのに対して、本図は10,780石9斗2升と著しく少ない。村形も村名だけが書かれており、村高は省略されている。国絵図に特徴的な鳥瞰図的な山の記載はなく、「元禄土佐国絵図控」では四角の枡形で記された「高知山城」は、本図では臙脂色の楕円村形で「高知」と記されている。本図中3ヶ所に懸紙が付されている。安芸郡の小川村については「尾川村ニ改ム」、幡多郡の利岡村については「利岡村ノ内 利岡村、若藤、板ノ川、口鴨川、奥鴨川ノ五ヶ村ハ利岡村ト一村立」(懸紙の位置は浦戸湾沖)、長岡郡にも「楠村ヲ改メ久寿軒村 中村大生村ヲ改中村大王村 長岡郡ノ部」とある。「尾川村」の名称は寛保3年(1743)の郷帳にみえるので、本図が写されたのもその頃以降とみられる。 |
要約 | 元禄期の土佐国絵図の写図とみられるラフタッチな土佐一国図。高知市民図書館に所蔵される「元禄土佐国絵図控」(元禄13年(1700)頃)と記載内容がおおむね合致する。郡高も「元禄土佐国絵図控」のそれとおおむね一致するが、土佐郡の郡高は著しく異なる。図中の3ヶ所に村名変更等に関する懸紙が付されており、その内容から本図は、寛保3年(1743)の郷帳編纂前後以降に作成されたとみられる。 |
キーワード | 元禄土佐国絵図、村形、郡高 |
参照 | 大脇保彦「土佐国絵図について-元禄国絵図を中心とした若干の検討-」高知大学学術報告人文科学、40(1991年)。渡部 淳「土佐国」(国絵図研究会編『国絵図の世界』柏書房、2005年)267-270頁。 |