加賀国図

番号 75
名前 加賀国図
読み かがのくにず
サイズ(cm) 59.3 x 53.3
彩色 手書 手彩色
作者 (項目なし)
版元 (項目なし)
作成日(和暦) (項目なし)
作成日(西暦) (項目なし)
地域 石川県
解説 加賀国を描いた小型の手書き国絵図である。作成者・作成年は不明。彩色は4色で,海岸線・河川を青色,郡名を朱色,城下や町場などを黄色で表し,ほかは墨書である。石高は,「加賀國 高四十四万二千五百七十石」と記されており,この値に近い南葵文庫の慶長期の加賀国絵図の総高は,44万2507石4斗5升6合である。絵図に記載された70石を7石の誤記と考えるならば,本図は江戸初期の加賀国を描いているのではないかと考えられる。村は小判型の村形で表され,その中に村名が記載されているが,村高はない。城下町や町などは方形や丸で描かれ,その内部は黄色で着色されている。道筋は墨線で引かれており,一里塚と思われる一対の黒丸表現が見られる。郡界線は引かれず,朱筆で郡名が記載されるのみである。他国との境は山稜線で表現しているが,越前国境の一部の山稜線は越前国側からみた表現となっているほか,能登国との国境は山稜線ではなく墨線で引いている。また,橋や滝,建物、古城,山名の記載も見られる。なかでも特に注目されるのは白山山麓に位置する村の記載である。白山には「白山大権現」の文字が見え,中腹に社と思われる建物と樹木が描かれている。山麓の村々のうち16ケ村は天正8年(1580)柴田勝家領となり,国郡も加賀国能美郡から越前国大野郡に変更されている。本図では16ケ村(一部村名・村字が異なるものもある)が記載され,特に「風嵐」と「牛くひ」の2ケ村には村形の外に「越前殿」と記されており,注目される。
要約 加賀国を描いた小型で手書きの国絵図。作成者・作成年は不明。石高は,「加賀國 高四十四万二千五百七十石」と記されており,この値に近い南葵文庫の慶長期の加賀国絵図の総高は,44万2507石4斗5升6合である。70石を7石の誤記と考えるならば,本図は江戸初期の加賀国を描いていると考えられる。本図では16ケ村(一部村名・村字が異なるものもある)が記載され,「風嵐」と「牛くひ」の2か村には村形の外に「越前殿」と記されており,注目される。
キーワード 加賀国、国絵図、白山麓、16ケ村
参照 国絵図研究会編『国絵図の世界』柏書房(2005年)。野積正吉「南葵文庫蔵越中・加賀・能登国絵図について」富山史壇、第150号(2006年)。金沢市史編さん委員会編『金沢市史 資料編18 絵図・地図』金沢市(1999年)見瀬和雄「近世白山争論と白山麓幕領の成立」徳川林政史研究、第24号(1990年)。

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