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番号 | 86 |
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名前 | 新鐫 長崎之図 |
読み | しんせん ながさきのず |
サイズ(cm) | 46.5 x 34.9 |
彩色 | 木版 手彩色 |
作者 | (項目なし) |
版元 | 梅香堂 |
作成日(和暦) | 享和元年 |
作成日(西暦) | 1801年 |
地域 | 長崎市 |
解説 | 刊行長崎図は、三都に続いて数多く出版された。長崎における出版文化は、既に豊臣時代にキリシタン版があるように古く遡れるが、こと長崎の市街地を描く絵図については、延宝頃の「長崎大絵図」のように、江戸・京都で出版されていた。地元版となったのは18世紀の中頃で、享保20年(1735)頃出版の「新版長崎大絵図」が古い。初期の絵図は、広く長崎湾全体を描いているのに対し、次第に中心は長崎市街へ移っていく。その流れの中に位置づけられる本絵図は、長崎・梅香堂による出板。刊年の「亨和元辛酉歳」(1801)と出板者とが記される前に「長崎ヨリ矢上迄三里、同 時津迄三里、同 茂木迄二里」と海上距離が記された後に、凡例が続いている。凡例には「■此印 御大名屋舗、▲此印 町年寄」とある。これら凡例などが記された枠の位置は、その文字の方向からすると、用意された紙面の中では左下になる。そして、四隅に四方向き合いで配された4方位のうち、この枠に近い「南」は、枠の外、右側に押しやられている。図の中の表現を見ると、西に近い部分に水色が与えられた海が広がり、「おらんたかけ舟」、「おらんた入舟」、「唐舟」などの特徴的な船が数隻浮かんでいる。その右側には街区が黄色で着色された町が数多く並んでいる。川にも水色が与えられており、そのほぼ中央を「西」に向かって流れているのは、中島川である。河口には四角く枠どられた「新地、唐人荷物蔵」があり、その南方で「唐人屋敷」に続いている。その反対方向には、特徴的な扇形をした「出嶋 おらんたやしき」が海に突き出ている。そして、これらの町の外側には緑色で着色された山が表現されている。凡例などの枠とりの右、「南」の方位表記の横には「彦山」などが描かれ、その麓には長照寺、延命寺、興福寺、浄安寺、三宝寺、などの寺が並んでいる。「北」に近い「立山」近くには聖福寺、永昌寺、安禅寺などがあり、「立山御役所」も描かれている。長崎の宗教文化を語る際に欠かすことのできない存在である「正一位諏方(ママ)社」は建物をも描くなど、この絵図の中でも特徴的な絵画表現となっている。これら山の表現は海の対岸にもあって、「北」と「西」を結んだ辺を構成している。 |
要約 | 刊行長崎図は、三都に続いて数多く出版された。当初は江戸・京都で出版されていたが、18世紀の中頃に地元版が現れた。初期の絵図は、広く長崎湾全体を描いているのに対し、次第に中心は長崎市街へ移っていく。本絵図もその流れの中に位置づけられる。凡例には「■此印 御大名屋舗、▲此印 町年寄」とある。海には「おらんたかけ舟」などの特徴的な船が数隻浮かんでいる。その右側には街区が黄色で着色された町が数多く並び、その外側には緑色で着色された山が表現されている。 |
キーワード | 刊行長崎図、唐人屋敷、出嶋、立山御役所、諏訪神社 |
参照 | 新人物往来社編『江戸時代「古地図」総覧(別冊歴史読本・事典シリーズ32)』新人物往来社(1997年)。南波松太郎・室賀信夫・海野一隆編『日本の古地図』創元社(1969年)。山下和正『地図で読む江戸時代』柏書房(1998年)。矢守一彦『都市図の歴史 日本編』講談社(1974年)。 |