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番号 | 8 |
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名前 | 細見 伊勢国絵図 |
読み | さいけん いせのくにえず |
サイズ(cm) | 141.6 x 105.3 |
彩色 | 木版 |
作者 | 山城屋佐兵衛・吉野屋仁兵衛・菊屋喜兵衛 |
版元 | 書肆 津逮堂 |
作成日(和暦) | 文政13年 |
作成日(西暦) | 1830年 |
地域 | 三重県 |
解説 | 江戸時代の後期から末期、つまり19世紀前半から中頃にかけて国別の地図(現在の分県地図にあたる)が多数出版される。この図は西方向を上にした伊勢国(現三重県)の刊行国図である。本図は色刷り図ではなく着色もされていないが、他所には手彩色図が存する。図の右側に図名「細見 伊勢国絵図」と記される。伊勢国の刊行図としては、『享保以後 大阪出版書籍目録』(清文堂、1936)に宝暦9年11月出願という「伊勢国大絵図」が見られるが、出版には至らなかったようで、現存する図としては、この文政13年図が最も古いようである。伊勢神宮は御陰参りなどで多くの庶民が参詣したため、そこへの案内書や地図の類は多く出た。しかし、伊勢国自体の地図への要求は多くなかったということだろう。その図名の左側には、伊勢国内にある各城下町の大名の名前と石高、伊勢国の産物を記した四角枠があり、その下には「城下」はじめ計6種の地図記号(合印)が示されている。地図には村名はじめ多数の地名や道筋が記されるが、図の左下には「書肆津逮堂曰」として、伊勢国に関する解説文章を載せている。津逮堂とは、図中に版元として名を連ねる京都の吉野屋仁兵衛のことである。左下隅に刊行年と皇都書肆3軒の名前(山城屋佐兵衛・吉野屋仁兵衛・菊屋喜兵衛)が記され、京都の版元が伊勢国図を出したことが判明する。この中で山城屋佐兵衛・吉野屋仁兵衛のコンビは他に美濃(天保5)、信濃(天保6)、丹後(天保11)なども出版しており、地図を刊行する上では国絵図を得意分野とし、かつ二軒合同で出版するというユニークな存在である。 |
要約 | 本図は西方向を上にした伊勢国(現三重県)の刊行国図である。色刷り図ではなく、着色もされていない。図の右側に図名「細見 伊勢国絵図」と記され、現存する図としては、本図が最も古いようである。その図名の左側には、伊勢国内にある各城下町の大名の名前と石高、伊勢国の産物を記した四角枠があり、下には「城下」はじめ計6種の地図記号(合印)が示されている。地図には村名はじめ多数の地名や道筋が記されるが、図の左下には「書肆津逮堂曰」として、伊勢国に関する解説文章を載せている。津逮堂とは、図中に版元として名を連ねる京都の吉野屋仁兵衛のことである。 |
キーワード | 刊行国図、伊勢神宮、津逮堂、山城屋佐兵衛、吉野屋仁兵衛 |
参照 | 国絵図研究会編『国絵図の世界』柏書房(2005年)。三好唯義「近世刊行国絵図の書誌的検討」(葛川絵図研究会編『絵図のコスモロジー 上巻』地人書房、1988年)206-225頁。 |