番号 130
名前
読み えき
サイズ(cm) 10.4 x 6.6
彩色 木版
作者 (項目なし)
版元 (項目なし)
作成日 (項目なし)
作成日 (項目なし)
地域 関東地方・中部地方・近畿地方
解説 江戸時代に街道を主題として描かれた道中図の一種。いくつかに分類できる道中図の中でも、本絵図は絵地図式道中記に分類される。本格的な携帯用絵地図式道中記の嚆矢は、寛延4年(1751)刊の「伊勢道中行程記」と見なされている。そして、宝暦2年(1752)改訂の「新板東海道分間絵図」をさらに発展させた小型横綴本として、同6年(1756)の「木曽路安見絵図」は、距離に関係なく二宿間を2頁見開きにした。続いて明和2年(1765)初版のNo.132「東海木曽両道中懐宝図鑑」は、上記両本の描写対象である東海道と木曽路との複合形となっている。翻って、本絵図の表紙には「驛」と題箋が貼られており、描出対象は東海道である。日本橋から始まる描出内容について、府中宿を例に説明すれば、二重の長方形で囲まれた中に「府中」と記し、その左横には石垣の上に駿府城(静岡城)の天守閣が描かれている。その間に正方形の中に東・西の記載を外向けに記すことで方位を示し、城の方向が西になっている。宿場町が描かれ、右端には「まりこへ一里半」という注記を伴う。すなわち、江戸・日本橋方面から京に向かった場合、次の宿駅名(丸子宿)と距離である。以上の点を、上述した「東海道分間絵図」における府中宿の記載と比較すると、方位記載の外枠は同じ正方形だが、4方位まで記されていた。本絵図では、城や宿場の描写とともに簡略化されていることが判る。但し、「名物」や「城西、浅間之社あり、社領二千六百石」などという独自の記載もある。左ページとの間には安倍川が描かれ、「あへ川上、丸子之方より流れ来るを藁科川といふ、府中のかたより流出るをあへ川と云」という長い注記を伴う。「をとろき橋」「石ばし」など橋の記載も、「分間絵図」以上に丁寧である。上述した府中宿の描写は、No.132「東海木曽両道中懐宝図鑑」の該当部分にほぼ同じであり、本絵図は、「東海木曽両道中懐宝図鑑」のうち、東海道の部分が独立の1冊とされていると位置づけられよう。なお、「東海木曽両道中懐宝図鑑」については、No.132の解説も参照されたい。本絵図の作成年を考えてみると、末尾に載せられた駄賃定めの改定年は「寛政七卯七月」とあり、西暦では1795年に当たる。「東海木曽両道中懐宝図鑑」との関係は問題を含みながら、本絵図自体は、寛政以後の出板であることは明らかである。
要約 江戸時代に街道を主題として描かれた道中図の一種で、絵地図式道中記に分類される。本絵図は、江戸の有名な地図出版者である須原屋が出版した「東海木曽両道中懐宝図鑑」(No.132はその初版本)のうち、東海道の部分を独立させたと位置づけられよう。本絵図自体は、寛政以後の改訂版と見なされる。表紙には「驛」と題箋が貼られている。日本橋から始まる。府中宿の場合はNo.132の該当部分にほぼ同じである。「東海道分間絵図」の記載と比較すると、簡略化されている一方で、独自の記載もある。
キーワード 絵地図式道中記、「東海木曽両道中懐宝図鑑」、日本橋、「東海道分間絵図」
参照 今井金吾「旅とともに発展した道中図」(吉成勇編『江戸時代「古地図」総覧(別冊歴史読本・事典シリーズ15)』新人物往来社、22巻33号、1997年)146-153頁。俵 元昭『江戸の地図屋さん—販売競争の舞台裏—』吉川弘文館(2003年)。矢守一彦『古地図への旅』朝日新聞社(1992年)。

ページ上部へ