官板実測日本地図 畿内 東海 東山 北陸

番号 146
名前 官板実測日本地図 畿内 東海 東山 北陸
読み かんばんじっそくにほんちず きない とうかい とうざん ほくりく
サイズ(cm) 155.9 x 228.3
彩色 木版 色刷
作者 (原図は伊能忠敬)
版元 開成学校
作成日(和暦) 明治3年
作成日(西暦) 1870年
地域 近畿地方・中部地方
解説 「官板実測日本地図」は、伊能忠敬測量の「大日本沿海輿地全図」小図3舗をもとに、江戸幕府が慶応3年(1867)に編集・刊行した日本図である。伊能図で唯一印刷刊行されたもので、木版3色刷り4枚組からなる。江戸幕府が開港政策をとり、航海用の正確な沿海地図が必要となったことから、幕府の開成所(蕃所調所の後身で、大学南校[現・東京大学]の前身)が、伊能「小図」をもとに幕府お抱えの版木師宮田六左衛門に彫刻版行させた。明治3年(1870)には、同じ版木を用いて大学南校(開成学校)から修正刊行されている。本図は、その再版図。伊能「小図」は蝦夷地から九州まで3鋪の図面で構成されたが、「官板実測日本地図」の作製にあたっては、「小図」にない北蝦夷と蝦夷地内部を加えて作製された。これらの地域については、間宮林蔵らの測量成果や松浦武四郎の「山川地理取調図」などを参考にしたとみられる。「官板実測日本地図」の縮尺は伊能「小図」と同じ1里3分(43万2000の1)で、京都を基準として経緯線・度数が記され、各図の接合部分には半円形のコンパスローズが描かれている。測量路線・海岸・地名は墨色、山の形の整飾は灰色、水系に藍色が用いられた。国境や天測点記号、地名の位置、山の形、山頂方位角の数字などは「小図」を忠実に再現しているが、交会線は省かれている。大学南校再版分は、山頂方位角の数字を欠いている。版木の一部は、東京大学総合研究博物館や筑波大学などに保存されている。本図は、4枚組のうちの「畿内 東海 東山 北陸」図幅で、伊能小図には記載されていない「小笠原群島総図」も別掲で挿図されている。小笠原群島は、文久3年(1861)に幕府が領有を宣言し、翌年には八丈島から入植者を移住させている。それゆえ、本図には幕末期における国土観が反映されてもいる。なお、本図の図隅には、国名・ 郡名・城郭・陣屋・国界・郡界・駅・港・神社・仏閣・測路の11の凡例が掲載されている。
要約 伊能忠敬測量の「大日本沿海輿地全図」小図3舗をもとに、江戸幕府の開成所が、慶応3年(1867)に編集・刊行した3色木版刷り日本図の「北蝦夷」図幅で、本図は明治3年(1870)の再版図。伊能「小図」の記載内容が忠実に模写され、縮尺も1里3分(43万2000の1)。「小図」にない「小笠原群島総図」も図示されており、幕末期における国土観が反映されている。図隅には、11の凡例が掲載されている。
キーワード 開成学校、伊能図、畿内、東海、東山、北陸、木版
参照 小野寺淳「官板実測日本地図」(山本正三・奥野隆史・石井英也・手塚章『人文地理学辞典』朝倉書店、1997年)75頁。東京地学協会編『伊能図に学ぶ』朝倉書店(1998年)。日本国際地図学会・伊能忠敬研究会監修『伊能圖:東京国立博物館所蔵伊能中図原寸複製』武揚堂(2002年)。保柳睦美編著『伊能忠敬の科学的業績 日本地図作成の近代化への道』古今書院(1974年)。渡辺一郎編『図説 伊能忠敬の地図をよむ』河出書房新社(2000年)。渡辺一郎編『忠敬と伊能図』アワ・プランニング(1998年)。

ページ上部へ