大坂港口 新田細見図

番号 35
名前 大坂港口 新田細見図
読み おおさかみなとくち しんでんさいけんず
サイズ(cm) 41.8 x 52.2
彩色 木版 色刷
作者 香川徽 撰并書
版元 積典堂
作成日 天保10年己亥5月吉日
作成日 1839年
地域 大阪 大阪港
解説 本図は天保10年(1839)に、大坂心斎橋の河内屋や南久宝寺町の伊丹屋などを加えて積典堂から刊行された大阪港の細見図である。木版の多色刷で、文字や境界線を墨で描き、橋、番所、舟屋を黄色で、鳥居を桃色で彩色している。刊行された新田図は希有である。北を上にして描き、尻無川(大阪市西部を流れる、大阪湾に注ぐ木津川の派流)にかけられた渡しが中央にくるよう配し、西は尼崎、東南は大和橋までを範囲とする。紙面のおおよそ右半分は、新田本高と地主の名前が記載されている。凡例には、入樋、落樋、入落樋、国役堤、自請の項目が各符号を伴って記載されている。図中には、これらの凡例にしたがって、各符号を見つけることができる。図中でもっとも目を引くのは、天保山周辺である。天保山は、天保2年(1831年)から2年間、船の航路を確保するために大阪港に接した安治川の土砂を積み上げて作った山である。当時の高さは約20mで、幕末期には桜が植樹され、それを目当てにして多くの観光客で賑わったという。図中には、茶屋のような建物が描かれ、天保山を囲むように植えられた松の樹木も確認できる。また、廻船の目印となるような、櫓も確認でき、「諸廻船目印山、俗ニ天保山」との記述がともなう。出版元の1つである河内屋は、大坂におけるもっとも大きな版元であった。江戸時代の大坂の出版界には、秋田屋と河内屋の二大グループがあり、秋田屋本家は代々市兵衛を襲名し、大坂出版界のトップであった。河内屋宇兵衛は、この秋田屋市兵衛店に奉公して、正徳年間に独立し河内屋の看板を掲げた。こののち、いくつかの分家をだした河内屋は、近江や大阪などの名所図会を刊行する。また、積典堂は、「萬寿大阪細見図」、「萬寿大阪細見図」などを代表作とするように、大坂の市街図を主に出版したことで知られる。
要約 天保10年(1839)に、河内屋や伊丹屋などと共版で積典堂から刊行された大阪港の細見図。木版の多色刷で文字や境界線を墨で描き、橋、番所、舟屋を黄色で、鳥居を桃色で彩色する。北を上にして西は尼崎まで、東南は大和橋までを描く。余白には、新田本高と地主の名前が記載されている。入樋、落樋、入落樋、国役堤、自請の凡例がある。図中の天保山周辺には、廻船の目印となるような櫓も確認でき、「諸廻船目印山、俗ニ天保山」との記述がある。
キーワード 木版多色刷、大阪港、細見図
参照 原田伴彦ほか『大阪古地図物語』毎日新聞社(1980年)。

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