徴古究理堂正本 地転新図

番号 42
名前 徴古究理堂正本 地転新図
読み ちょうこきゅうりどうしょうほん ちてんしんず
サイズ(cm) 83.8 x 30.8
彩色 木版
作者 皐屋鶴峯戌申
版元 東参社中蔵刻
作成日 文政10年12月22日
作成日 1827年
地域 天体図
解説 地動説に立つ墨書木版の太陽系天文図。中央に太陽を置き、その外側に順に水星、金星、地球、火星、木星、土星を配し、各惑星の距離や自転周期、周囲表などが記載されている。ハレー彗星、キルヒ彗星、二十四節気や黄道十二星座の名称なども図示されている。本図の上辺には、「太陽ノ黒点其山嶽洞穴ヨリタチノボル火ノ烟ナリトイヘリ、水星ハ其体最モ小ニシテ白シ…(中略)…月ハ海山陸等ノ形勢吾地球ト異ナルコトナシ、是ミナ望遠鏡モテ見ル所ナリ」とある。作者は、江戸後期の和漢洋に通じた国文学者で窮理学者の鶴峯戊申(つるみね しげのぶ、1788~1859年)で、「皐屋(こうや)」は屋号。豊後国臼杵八坂神社神官を勤めた鶴峯宜綱の長子で、幼少より和漢に長け、17歳の文化元年(1804)に京都に上り和歌・国学を学ぶ。のち、安倍(土御門)家塾に入り、天文究理に関心を示す。大阪で講業生活を行い、45歳の天保3年(1832)に江戸に移住して中橋南大工町に私塾「究理塾」を開き、和漢古典の訓話学と蘭学、とくに志筑忠雄著『暦象新書』による天文学説を習合させた究理を説いた。この間、水戸藩仕官を願い、のち同藩新設の和書編集所に出仕する。ペリー来航後、藩主徳川斉昭に外交経世の意見書を提出し、キリスト教にも注目した開明的な思想家とされる。本図下の解説には、地動説のはじまりは古代エジプトで、ヨーロッパのピタゴラスがこれを伝え、コペルニクスが学説を確立し、パリの天文台を開設したカッシーニやニュートンが大成したと述べるとともに、ニュートン力学を紹介した志筑忠雄(長崎通詞)の業績を高く評価している。解説では、「大地ハ…(中略)…クラゲノ如クニ大虚空ノ中ヲ漂ヒメグル」としつつも、引力を磁石に例え、地球の公転を説明して「臣ノ君ニ仕フマツルガ如シ」などと、西洋の新知識を紹介している。他方、解説巻末には「余文化年間ヨリ始テ地動家説本教ニ近キヨシヲ論ズ、同時平田氏ノ大地漂旋ノ説出テ謀ズシテ相類ス、然レトモ我ハ全ラ星ヲ論ジ彼ハ星ニアヅカラズ、読者コレヲ察セヨ」と論じ、地動説に対する自負心も垣間見える。
要約 地動説に立つ国文学者で窮理学者の鶴峯戌申が、文政10年(1827)に作成した太陽系天文図。中央に太陽を置き、その外側に順に水星、金星、地球、火星、木星、土星を配し、各惑星のなど距離や自転周期、それにハレー彗星、キルヒ彗星、二十四節気や黄道十二星座などを記載。西洋における地動説の歴史を概説するとともに、ニュートン力学を高く評価するなど、開明的な内容となっている。
キーワード 地転新図、天体図、地動説、ニュートン力学
参照 海野一隆『日本人の大地像』大修館書店(1999年)。国史大辞典編集委員会編『国史大辞典 第九巻』吉川弘文館(1988年)。長岡正利「国土地理院所蔵地図史料展観Ⅳ 微古究理堂正本地轉新圖」国土地理院広報、第323号(1995年)。

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