東海道中仙道道のり早算用

番号 134
名前 東海道中仙道道のり早算用
読み とうかいどうなかせんどうみちのりはやざんよう
サイズ(cm) 50.1 x 38.5
彩色 木版
作者 石川益守
版元 鶴屋吉右衛門・穀屋紋右衛門
作成日(和暦) 文政13年
作成日(西暦) 1830年
地域 関東地方・中部地方・近畿地方
解説 江戸日本橋から京都までの宿場間の距離を東海道・中山道別に記した早見表である。左下に日本橋、右上に京都を置き、上が東海道経由の場合、下は中山道経由のダイアグラムの形になっている。左端の表外に説明があり、江戸から京都間にある任意の宿場間距離は、該当の宿場を縦と横に辿った「局中に数あり、即是なり」としている。つまり、今日の時刻表に掲載された運賃早見表と同じ要領により、運賃の代わりに距離が表記されている訳である。世に多い「街道行程の書記」の中でも、簡単に知ることができる、と宣伝している。表の右上に当たる京都~草津は上下で共通している。例えば、京都と大津は「三リ(里)」、京都と草津間は「六リ(里)半」と記されている。表中の宿場名に関する注記として「□印御城下」とあり、日本橋からの最寄では小田原と高崎、京都の最寄では水口と加納に印が付けられている。説明の最後に、「南甲 石川益守誌」の作者名とともに、「文化十五戌寅春王正月発行、文政十三年庚寅正月再版」と年記があり、文化15年(1818)発行分の改訂版に当たることが判る。版元の鶴屋は江戸通油町、穀屋は甲州鰍沢とされている。なお、今井金吾監修『道中記集成』大空社、25巻(1996年)所収の天保3年(1832)刊「東海道・中山道行程早見表」(本表題は、今井の命名)は、同じく益守の作品とされており、本表の更なる改訂版と見なされる。サイズは66.3cm×70.3cmとなっており、大判化されたことが判る。左端の表外に置かれた説明文もほぼ同じながら、新たに彫り直されたようである。本表が最初に発行されてから5年後の文政6年(1823)に、常陸国古河の鷹見泉石が作成した「日光駅路里数之表」(木版淡彩)は、江戸~日光間の距離早見表であり、同様の仕組みとなっている。将軍の日光社参にあわせ、その宿城地であった古河城の現場担当者として、将軍に献上された。鷹見泉石関係資料として国の重要文化財に指定されており、オランダの「和蘭諸城地道里之表」にヒントを得たと言われている。石川のアイデアは、鷹見より早かった可能性があるということになろう。この石川益守の手になる他の作品として、文政8年(1825)刊の「新板色摺 甲斐国絵図 全」(青柳城山・書、石川益守・画、熊本吉長・刀)が挙げられる。木版による色刷で、版元は甲斐國巨摩郡鰍澤驛の古久屋紋右衞門である。
要約 江戸日本橋から京都までの宿場間の距離について、左下に日本橋、右上に京都を置き、上が東海道経由の場合、下は中山道経由別に記した早見表である。今日の時刻表に掲載された運賃早見表で、運賃の代わりに距離が表記されている形。表の右上に当たる京都~草津は上下で共通する。表中の宿場名に関する注記として「□印御城下」とある。文化15年(1818)発行の改訂版に当たり、版元の鶴屋は江戸通油町、穀屋は甲州鰍沢とされ、作者は「南甲 石川益守誌」としている。
キーワード 東海道、中山道、日本橋、京都、鷹見泉石
参照 石山 洋「泰西堂蔵版『日光駅路里数之表』にヒントを与えた「和蘭諸城地道里之表」」泉石、第6号(2002年)。今井金吾監修『道中記集成』大空社、25巻(1996年)。矢守一彦『古地図への旅』朝日新聞社(1992年)。

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