三縁山惣絵図 全

番号 31
名前 三縁山惣絵図 全
読み さんえんざんそうえず ぜん
サイズ(cm) 47.7 x 34.8
彩色 手書 手彩色
作者 (項目なし)
版元 (項目なし)
作成日(和暦) (項目なし)
作成日(西暦) (項目なし)
地域 東京
解説 本図は、三縁山宗度院増上寺の伽藍配置を図示した絵図である。作成年・作成者・発行元のいずれも図面中には記載されていない。図面右下には凡例が示され、灰色の■は水溜箱之印、灰色の●は水溜桶之印、朱色の●は櫨灯台之印とされている。凡例にしたがうと、中央に描かれる本堂付近や北側に描かれる方丈付近には多くの水溜箱・水溜桶や櫨灯があるが、下院付近には水溜箱ならびに水溜桶が少なく、櫨灯台もまばらであることが読み取れる。本堂・山門・鐘撞堂などは絵画的に表現されるが、そのほかの建物は、名前が示されるのみである。なお、境内にある稲荷、天神、塔、御供所は朱に塗られている。藍色で表現される部分は土盛りであると考えられる。絵図面の北側および東側は水路によって隔てられ、南側には新堀川が流れ、赤羽根橋と将監橋が架けられていることが読み取れる。 増上寺は浄土宗鎮西派大本山であり、徳川家の菩提寺であった。始まりは空海の弟子である宗叡が、現在の千代田区紀尾井町付近に光明寺と称される真言宗寺院を建立したとされる。明徳4年(1393)頃、聖聡が浄土宗に改め、増上寺と称した。慶長3年(1598)、徳川家康が徳川家の菩提所と定めて現在地に移した後は、全浄土宗諸寺を管した。また檀林と呼ばれた学問所を置き、関東十八檀林の筆頭とした。現在の増上寺は規模を縮小し、絵図中の「本堂」部分に立地する。「文照院棟」は東京プリンスホテルであり、「真葉院」前の「水溜箱」には東京タワーが立地する。「赤羽根橋」、「将監橋」は、現在もその地名が残る。
要約 徳川家の菩提寺である増上寺の境内を詳細に描いた図であり、本堂・山門・鐘撞堂などを絵画的に、その他の建物は簡素に表現している。図中特に表門から中央に描かれる本堂付近や北側に描かれる方丈付近に数多くの水溜箱、水溜桶や櫨灯の記号が見られ、防火に備え、闇を照らしていた様子がうかがえる。また、稲荷・天神・塔・御供所を朱に染め目立たせている。
キーワード 江戸、増上寺、社寺境内図
参照 (項目なし)

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